交通事故で乗り合わせたすべての馬が死亡……度重なる危機を奇跡的に乗り越え、最後は年度代表馬に。人知を超えた「奇跡の馬」サンデーサイレンス【前編】
今から30年前の1986年の3月25日。アメリカのケンタッキー州にあるストーンファームで、一頭の青鹿毛の仔馬が誕生した。1989年の米国年度代表馬……いや、その後、日本の競馬界において伝説的な存在となるサンデーサイレンスである。
「あんなひどい仔馬は見たことがない」
生まれたばかりのサンデーサイレンスを一目見て、生産関係者はそう嘆いたらしい。だが、それも仕方がない。競走馬として致命的ともいえる欠陥を抱えた、異様に長い脚。さらにそれが外側に曲がり、華奢な上体がこの仔馬のアンバランスさを際立たせていた。
また、産まれてからわずか半年で致死性の腸内ウイルスに感染。サンデーサイレンスは数日にわたってひどい下痢を繰り返し、生死の境をさまよいながらもなんとか生き永らえた。しかし、お世辞にも良いとは言えない血統、人に危害を与えかねない激しい気性は、幼少期の関係者からは「目にするのも不愉快」とまで言わしめるほど酷いものだった。
そうなると当然、まともな買い手などいるはずもない。翌年、セリに掛けられたサンデーサイレンスだったが、血統も見栄えも悪いことから、まず普通のサラブレッドが参加するセリの出品許可すら下りなかった。
結局、ひとつ下のクラスで出品されたが、1万ドル(当時の200万円程度。ちなみに産駒のディープインパクトは7,000万円で取引された)で叩き売られそうになったところを、生産者がしぶしぶ買い戻すはめとなる。
その後も様々な馬主に相談するが歯牙にも掛けられず。セリにかけても、まったく値が上がらないために買い戻す。そんな競走馬になることさえ危ぶまれていた、ある日……。
カリフォルニア州のセリからの帰り道で、サンデーサイレンスを乗せた馬運車が横転する事故に遭った。