武豊騎手「とても残念」オークス馬ダンスパートナー死す……「華麗なるダンス一族」の誇りを胸にカイザーバルが秋華賞(G1)に出陣
まだ海外遠征の機会が本当に限られていた20世紀末、ダンスパートナーの世界挑戦は異例中の異例で大きな話題となった。日本が世界に打って出る大きなきっかけとなったタイキシャトルのジャックルマロワ賞の勝利や、エルコンドルパサーの欧州遠征が行なわれる数年前の話であり、日本が世界に通用するのか、当然のように疑問が持たれていた時代の話だ。
そんな中、ダンスパートナーは海外初戦となるノネット賞(仏G3)で2着。負けた相手は、その年のフランス1000ギニー(G1)を勝った馬。1000ギニーはその国の桜花賞のようなもので”フランスの桜花賞馬”と接戦を演じたダンスパートナーの走りは、敗れはしたものの日本競馬の力を世界に大きくアピールした。
続くヴェルメイユ賞(G1)では先述した池田氏のコメント通り、1番人気に推されたダンスパートナー。日本調教馬による欧州G1初制覇の偉業が期待されたが、結果は6着だった。なお、このレースを制したカーリングは後に日本輸入され、ロゴタイプの父ローエングリンを輩出している。
ダンスパートナーの型破りな挑戦は、まだ終わらない。帰国したダンスパートナーはエリザベス女王杯には向かわず、なんと3歳牡馬クラシック最後の一冠となる菊花賞(G1)に挑戦。グレード制導入以降、菊花賞に挑戦した牝馬はダンスパートナーただ一頭だけだ。
だが、これは大きな挑戦であることは確かだが、決して無謀な挑戦ではなかった。
何故なら、ダンスパートナーの半兄エアダブリンは菊花賞で3着し、その後にステイヤーズS(G2)とダイヤモンドS(G3)という3000m超のレースを連勝。春の天皇賞(G1)で1番人気に推されたステイヤーだったからだ。