JRA武豊エアグルーヴVS田原成貴ファイトガリバー! 2人の天才の意地と意地がぶつかり合った96年オークス!
激しく、美しく、燃えさかれ、
JRAヒーロー列伝におけるエアグルーヴのタイトルだ。
近年こそ、アーモンドアイをはじめ、男馬顔負けの女傑の活躍が珍しくない時代となった。だが、一昔前までは牡牝の差は大きく、牝馬が牡馬を相手にG1レースを勝利することは非常に難しい時代だった。
そんななか、1997年秋の天皇賞(G1)でバブルガムフェローを破ったエアグルーヴの功績は、ひときわ異彩を放つ衝撃であった。真っ向勝負で牡馬をねじ伏せた女傑の出現は、その後の競馬界に大きな影響を与えることとなる。
エアグルーヴは93年に生まれ、母はオークス馬ダイナカール、父は凱旋門賞(G1)を勝利したトニービンである。初年度産駒がデビューした90年には、ウイニングチケット、ベガ、ノースフライト、サクラチトセオーら多くのG1馬を輩出するなど一躍トニービンブームを巻き起こした。
関西の名伯楽である伊藤雄二調教師に「男馬ならダービー馬」と見染められた逸材・エアグルーヴは、調教でも非凡な身体能力の高さを見せて話題を集めた。鞍上には天才・武豊を迎え、95年夏の札幌でデビューした。初戦を2着に取りこぼしたものの、次走を圧勝して臨んだいちょうS(当時・現サウジアラビアRCの前身)で非凡な才能を見せることになる。
1枠1番だったこともあって内目の好位を追走したが、逃げ馬に直線で進路をカットされ、武豊騎手が立ち上がるほどの致命的な不利を受けた。にもかかわらず、態勢を立て直すと一気に前を行く馬を交わし去った。普通の馬であれば、戦意喪失してもおかしくない状況だっただけに、エアグルーヴが桁外れの勝負根性を見せたレースだったといえるだろう。
初G1出走となった阪神3歳牝馬S(G1・現阪神JF)では、武豊騎手がイブキパーシブに騎乗したため、M.キネーン騎手とのコンビで挑んだものの、スローで逃げたビワハイジの前に2着に敗れた。だが、2頭が再び顔を合わせたチューリップ賞(G3・当時)では5馬身差をつける完勝で力の違いを見せつけた。
だが、最有力と目された桜花賞(G1)を熱発で回避となり、エアグルーヴが不在の桜花賞を制したのは田原成貴騎手のファイトガリバーだった。
オークスの舞台で桜の女王との対決をチューリップ賞から熱発のぶっつけで挑むこととなったエアグルーヴ。それでも同馬に対するファンの信頼は厚く、1番人気の支持を得た。
そして、武豊VS田原成貴という新旧天才騎手の対決にも大きな注目が集まった。