エリザベス女王杯の記憶~武豊栄光の4連覇。トゥザヴィクトリー・ファインモーション・アドマイヤグルーヴ~
2002年のファインモーションは根本的に馬の絶対能力が上だった。同年の8月に休養から復帰して2勝目をあげた同馬は、その後連勝を重ねて重賞のローズステークス、そしてG1レースの秋華賞まで無傷の5連勝。エリザベス女王杯でも単勝1.2倍と断然の人気に支持されていたのだ。レースは圧倒的な差で後続を突き放し完勝。
2003年はアドマイヤグルーヴに騎乗して同年の牝馬三冠馬スティルインラブを退けて勝利。2004年もアドマイヤグルーヴに騎乗して見事同一レース騎乗機会4連覇を達成したのである。
この2004年は年間最多勝記録更新し、JRA所属騎手として初の海外通算100勝を達成、さらに「最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞」というJRA賞を総なめにした。この2004年とディープインパクトで三冠を達成した翌2005年は、武豊にとって騎手人生で最高の瞬間だったかもしれない。
しかし2006年から成績が落ち始め、さらに2010年の落馬事故で長期休養となり、復帰後も明らかに有力馬の騎乗依頼が減り、20%超えは当たり前だった勝率も10%前後まで低下、それに伴い成績も減少した。
この落馬事故を境に武豊の名前は表舞台から消え、若手の福永祐一、浜中、川田、さらに地方競馬からJRAへ移籍した岩田、内田、戸崎の時代へと移っていく。