JRAコントレイル福永祐一「引退後」は、やはり……!? 「もっと面白いやろなあ」ファンも認める理論派が名伯楽になれる理由
「やっぱり、調教師をやってみたい――」
8日、JRA(日本中央競馬会)が、来年度の調教師免許試験(新規)の第一次試験を24名が通過したと発表した。昨年は20名が一次試験を突破し、最終的には四位洋文元騎手など8名が合格。今年も蛯名正義騎手などの合否が大きな注目を集めそうだ。
その一方、コントレイルと共に史上3頭目の無敗三冠に挑むなど、現役騎手としての集大成を迎えている福永祐一騎手が4日、『競馬BEAT』(関西テレビ系)の公式Youtubeチャンネル『はみだし競馬BEAT』に出演。お笑い芸人のシャンプーハットこいでとの対談を行っている。
詳細は、ぜひ動画を視聴していただきたいが【コントレイル特別対談】と銘打たれた動画内で、福永騎手はコントレイルについてだけでなく、騎手引退後のキャリアにも言及。「調教師をやってみたい」と、抱負を語っている。
「僕が北橋修二厩舎でデビューして、その時にたくさん失敗してるから。でも、『失敗しても乗れ』って言ってくれて強烈なサポートをしてくれた。それを忘れちゃいけないなと思う」
1996年に、北橋厩舎の所属騎手としてデビューした福永騎手。「天才」と称された福永洋一騎手の息子として大きな注目を集める中、デビュー2連勝を飾って新人王を獲得するなど、華々しいキャリアのスタートを切っている。
だが、その裏には福永騎手が「親」と信頼する師匠からの強力なバックアップがあったようだ。
「今だからこそ言えることですが、はっきり言って若手の頃の福永騎手は“親の七光り”というイメージが強かったですね。ネット上でもファンから『コネ永』などと影口を叩かれ、本人も気にしている様子でした。もちろん和田竜二騎手ら、同期の中では抜群の成績を残していましたが、落馬などのアクシデントも多く、常に危なっかしいイメージでしたね。
そんな福永騎手を辛抱強く支え続けたのが、北橋調教師と瀬戸口勉調教師でした。それだけに福永騎手がもし調教師になれば、ことさら弟子を大事にすることは間違いないでしょうね」(競馬記者)
実際に、3年前に瀬戸口調教師が亡くなった際、福永騎手は「感謝の言葉しかありませんし、もっと何か恩返しができたのではないかという自責の念もあります」と沈痛な面持ちだったという。自分を育ててくれた恩師のためにも、若手騎手を自らの手で育て、競馬界に寄与したいという思いは強いに違いない。
その一方、競馬界きっての理論派として知られる福永騎手は、以前から多くのファンの間でも「調教師になれば絶対に成功する」と評されている人物だ。