JRA吉田隼人「しくじり先生」から学んだ経験。阪神JF(G1)ソダシ「あの時の感じと似ている」人生最大の勝負で大敗したG1・1番人気の悪夢
「すごいことになってしまいましたね。ありがたいです。馬のおかげです」
2016年の天皇賞・春(G1)は吉田隼人騎手にとって、忘れたくとも忘れられないレースの1つに違いない。
2004年のデビューから12年目で、キャリア初となるG1の1番人気。同期の川田将雅騎手や藤岡佑介騎手らが華々しい活躍をする中、ようやく掴んだ「主役」の座だった。
パートナーは前年の有馬記念(G1)の覇者ゴールドアクター。当時6連勝中と天皇賞・春で1番人気になるのも頷ける勢いがあった。特に有馬記念は、吉田隼騎手が落馬負傷の傷が癒えぬ中、“強行軍”で掴みとったG1初勝利。
スター騎手か、“脇役”か――。吉田隼騎手にとって、今後の騎手人生を左右するレースと言っても過言ではなかった。
しかし、結果は12着大敗……。レース後、吉田隼騎手が「普段もカリカリしている馬ですが、今日は一番イレ込んでいました」と語った通り、長距離戦において最も大事な気性面をコントロールできず、まさに自滅といった結果だった。
何故、6連勝中だったゴールドアクターがここまで大敗したのか。当時を知る記者は、吉田隼騎手の技術的な問題や、1番人気のプレッシャー以上に「運がなかった」と話す。
「この年の天皇賞・春はゴールデンウィーク中の開催で、ゴールドアクターが所属する関東からの輸送は渋滞に巻き込まれる危険もあって、大きなリスクがありました。そのため陣営は早めに現地入りする異例の輸送を行いましたが、それが逆にゴールドアクターのリズムを狂わせてしまったそうです。
菊花賞(G1)3着と距離に不安がありませんでしたし、レース中も吉田隼騎手が上手に折り合いをつけていたんですが、レース前の入れ込みで体力を消耗していた分、最後までもちませんでした」(競馬記者)
さらにゴールドアクター陣営には、枠の不運もあった。1938年の創設から、今年までゴールドアクターが入った17番の優勝はゼロ。隣の18番も1979年にカシュウチカラが勝っているだけと、天皇賞・春は外枠が圧倒的に不利だったのだ。
一度はスターの座を掴みかけたが“騎手人生最大の勝負”に敗れた吉田隼騎手は、あの敗戦から昨年までの約4年間、重賞勝利はわずか3勝。輝かしい大舞台の頂点から、大きく遠ざかった。
しかし、あの時の「結果」は吉田隼騎手の人生を左右したかもしれないが「経験」は活きている。