【血と文学】最強モーリス、そして「言葉の錬金術師」と呼ばれたあの詩人と「意外で深い繋がり」に迫る

モーリス(競馬つらつらより)

 今回は競馬のロマンのひとつである「血統」の物語について語る。取り上げるのは、天皇賞(秋)で2階級制覇を達成し、3つ目の香港G1タイトルを狙うモーリスだ。近年の日本産駒として最高レベルの活躍を見せる同馬の血には、現代でも影響力を持つ有名な詩人との深い繋がりが隠されている。

 モーリスの母はカーネギー産駒メジロフランシス。ここからさらに母系を3代たどると、「メジロボサツ」という馬に行き当たる。この馬は地方競馬で4勝を挙げたメジロクインの初仔として生を受けたものの、出産直後に母が死亡。さらに競走馬としてデビューする前に父のモンタヴァルも死亡し、いわば「親のない子」として競走馬登録をされることになる。

 そのような不運とも言える境遇と、「仏の血を継いだ」という事実から「ぼさつ(菩薩)」の名を付けられた。体重370キロ前後と小柄だったため、陣営もはじめはこの馬がG1を勝つなどとは夢にも想像しなかっただろう。しかしメジロボサツは、自身の不幸を競馬への執念に変えたように勝利を重ね、デビューから8戦7勝という破竹の勢いで、朝日杯3歳S(現在の朝日杯FS)を逃げ切る。当時の鬼気迫る様子を、”言葉の錬金術師”と呼ばれた天才詩人・寺山修司は次のように語った。

「ファンたちは”メジロボサツがなぜ強いか”という噂をした。『あれは、自分の不幸な生い立ちへ復讐しているのだ。勝つほかに、メジロボサツが愛される道はないのだ』と。」(「書を捨てよ、町へ出よう」) 

 寺山修司は”昭和の啄木””サブカルチャーの先駆者”とも言われ、文学だけでなく演劇・映画・評論など多方面で活躍。戦後日本文化に多大な影響を与えた人物だ。現代で言えばロックミュージシャンの大槻ケンヂが寺山を慕っているほか、写真家・蜷川実花の父で今年5月に亡くなられた蜷川幸雄も、寺山原作の演劇を手がけるなど関係が深い。

 競馬への執心もただならぬものがあり、地方競馬の馬主になった経歴もあるほど。競馬に関する著作の数は10を超え、昭和48年にはなんとJRAのCMに登場したこともある。その他にも「ふりむくな 後ろには夢がない」のフレーズが有名な『さらばハイセイコー』、「流星の貴公子」と呼ばれ、78年の日経新春杯で悲劇的な事故に見舞われたテンポイントを題材にした『さらばテンポイント』など、有名馬をテーマとした詩作品も手がけ、競馬に対しては一方ならぬ思いを持っていたことがうかがえる。

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