JRA「クビになった(笑)」武豊はダイワスカーレットの主戦だった!? 安藤勝己氏と語る「3/247」が生んだ運命の邂逅
競馬において、切っても切り離せない写真判定。G1になれば一着順違うだけで数千万円の損得が発生することも珍しくない競馬界で、写真判定は馬主を始めとした関係者、そして馬券を購入するファンにとっても極めて重大な”審判”であると同時に、数々の感動と名勝負を生み出すアクセントにもなっている。
そんな写真判定を巡る代表的なレースとして、今でもファンの間で語り草になっているのは、2008年11月2日に行われた第138回天皇賞・秋(G1)だろう。
武豊騎手のウオッカと、安藤勝己騎手のダイワスカーレット。2頭の明暗を分ける写真判定は13分間にも及び、前者を管理する角居勝彦調教師でさえ「死刑判決を待っているような心境」との言葉を残している。それは同時に観た者の心に深く刻まれたレースでもあった。
ただ、そんな歴史的名勝負が起こり得なかった可能性があることをご存知だろうか。競馬はある意味で小さな奇跡の連続で成り立っているが、これもまた間違いなく大きな流れの「分岐点」と言えただろう。
「僕でデビューの予定だったんですよ――」
武豊騎手がそう語ったのは、『うまンchu』で行われた安藤勝己氏との対談企画の“延長戦”だ。YouTubeの『カンテレ公式』にアップされている動画内でダイワスカーレットが話題に上った際、安藤氏が「豊ちゃんが最初に調教に乗ってたんだよね?」と話を振ると、武豊騎手が「そうそう、僕でデビューの予定だったんですよ」と答えている。
詳細はぜひ本動画をご視聴いただきたいが結局、ダイワスカーレットは安藤氏の手綱でデビュー勝ち。レース後「とてつもない素質を秘めた馬」を絶賛した主戦ジョッキーは以後、本馬が引退するまで、その鞍上を一度たりとも他のジョッキーに譲らなかった。
「動画内で武豊騎手は『クビになったんですよ(笑)』と冗談を言っていましたが、正確には同じレースで先約があったからです。ちなみに騎乗したのはウインスペンサー。ダイワスカーレットの新馬戦で人気を分け合いましたが、結果は3着。最終的には1600万下(現3勝クラス)の壁を突破できずに引退しています。
先約だったとはいえ、武豊騎手にとっては大きく運命を分けた一戦だったといえるでしょうね」(競馬記者)
ちなみにウインスペンサーが所属しているのは一口馬主クラブのウインだが、そもそも武豊騎手がウインの所属馬に騎乗しているイメージを持つファンは少ないのではないだろうか。
それもそのはず。ウインと武豊騎手の関係は決して濃いとはいえず、今年の騎乗数はゼロ。昨年でもわずか1鞍だけ。ここ5年でわずか5鞍と極めてレアケースである。
ちなみにウインは2006年に247回所属馬を出走させているが、ウインスペンサーのデビュー戦は武豊騎手が騎乗した3鞍の中の1つだった。