JRA蛯名正義「悔し過ぎて何も言いたくない」日本ダービーで取材拒否……「このレースだけは結果が全て」すべてが完璧だった男と、自らを「騎手失格」と称した男を分けた明暗
一方の岩田騎手も負けられない思いがあった。3週間前のNHKマイルC(G1)の最後の直線で、内側へ斜行した影響で後藤浩輝騎手が落馬。その3年後、後藤騎手が自殺した経緯もあって、一部のマスコミやファンの間で大きな波紋を呼んだ。
「NHKマイルCで大きな迷惑を掛けてしまい、本当は馬乗り失格ぐらいのことをやってしまった。でも、ダービーには乗れるということで気持ちを切り替えて、前向きに考えて、これからダービーまで、自分のすべてをディープブリランテと過ごそうと決めたんです」
その言葉通り、岩田騎手は日本ダービーまでの3週間、ディープブリランテに毎日付きっきりだったという。この年の日本ダービーは、まさに崖っぷちに追い込まれた男が執念で掴み取った栄冠だった。
すべてが完璧に噛み合った蛯名騎手とフェノーメノは、勝者に相応しいだけのパフォーマンスを残した。しかし、NHKマイルCからの3週間、本人が「馬乗り失格」と認めているように、騎手として完璧には程遠かった岩田騎手に数cm及ばなかった。
これもまた馬と人が走る競馬だが、1992年の日本ダービーは、フェノーメノを管理する戸田博文調教師の「あと50mあれば勝っていた。ただ、相手は『運』が我々よりも勝っていた」という言葉がすべてなのかもしれない。
古来より、日本ダービーは「運が良い馬が勝つ」という言い伝えがある。蛯名正義は調教師になって、運という名の忘れ物を拾いに行くはずだ。