武豊の鉄人伝説!! 今だから振り返りたい「驚愕のカムバック」数々の悪夢や落馬事故を乗り越えて……
3月20日の阪神10R。ゲート内で馬が暴れた影響で右足を負傷した武豊騎手は、右足の靭帯損傷と診断され、翌日の騎乗予定はすべてキャンセルとなった。
22日に京都市内の病院で精密検査を受けた結果、右足甲の骨折が判明。当然ながら今週末の騎乗予定はなくなり、今後は5月頃の復帰を目指すという。
春のG1戦線が開幕するタイミングでの「レジェンド騎手」の負傷は、騎乗予定馬の乗替わりなども含めて、競馬界に少なからず影響を与えている。
今月で52歳を迎え、騎手生活は35年目に突入した武豊騎手。現役最多騎乗数や、その勝利数など、素晴らしい記録を残してきたことは、ご存知のとおりだ。
そんな栄光の記録を打ち立てた影には、数々の大ケガを乗り越えてきた驚異の回復力があったからにほかならない。今回はそんな武豊騎手の「鉄人伝説」を紹介しよう。
まずは2001年。自身32歳のシーズンは、3月のフランス競馬開催から名門ジョン・ハモンド厩舎の主戦騎手になることを発表。主戦場を海外へと移し、その活躍が期待されていた。
ところが7月13日、フランスのドーヴィル競馬場でレース中に落馬。左手首を骨折して、全治6週間の診断を受けてしまう。
「海外での活躍もここまでか……」と思いきや、8月5日には札幌競馬場に現れた武豊騎手。トークショーに出演するなど、元気な姿を見せて周囲を驚かせた。
その年は8月末に復帰した後、同年10月には、ロンシャン競馬場でアベイユドロンシャン賞を勝利。見事、フランスG1制覇を果たしてしまった。
武豊騎手は、翌2002年も落馬事故の憂き目に遭う。2月24日の中山3Rで騎乗馬の転倒により、骨盤骨折の重症を負ってしまった。
事故後には船橋市内の病院に救急搬送され、全治3〜6ヶ月と診断。前日には史上最速・最年少でJRA史上8人目(当時)となる通算1万回騎乗を達成するなど、さらなる活躍が期待される矢先の事故だった。
ところが事故後2ヶ月も経たない4月21日の京都競馬場で、ハギノハイグレイドに騎乗。アンタレスステークス(G3)を勝利して、骨盤骨折からわずか56日目で、重賞制覇を果たしてしまったのだ。