JRA「前代未聞」の不祥事は岩田康誠だけじゃない!? 先輩騎手が後輩騎手を木刀で殴打、22年前に起きた「サイレンススズカ超え」の遺恨
競り掛けて来たゴーステディに先頭を譲ることなくローエングリンはさらに加速を続ける。競り合いが激しくなれば共倒れとなるのは明白だったにもかかわらず、ゴーステディも引くことなく追走したのだ。
お互い譲ることなく両者が飛ばした結果、超ハイペースとなり、2頭が後続を10馬身ほど離す大逃げとなる。地力に劣るゴーステディが4コーナー前に脱落し、ローエングリンがそのまま最後の直線を迎えるも余力は残っていなかった。残り200m手前で後続馬に捕まるとズルズルと後退したローエングリンは13着、競り掛けたゴーステディはブービーから大差の18着に敗れた。
2頭が大敗したのも無理はない。このレースで計時された1000m通過56秒9という天皇賞史上最速ラップは、1998年に悲劇的な競走中止となったサイレンスズカの刻んだ57秒4をも上回っていた。
なぜこのような事態は起こったのか。
それはゴーステディに騎乗していたのが後藤騎手と因縁のある吉田豊騎手だったからではないかという声も出た。ゴーステディ陣営から逃げるように指示を受けていたとはいえ、レース後に本人も速過ぎたと認めたハイペース。ローエングリンの後藤騎手も他の騎手が相手だったなら、控えていたかもしれない。
この件については当時、関係者やファンの間でも「どっちもどっち」「吉田豊の嫌がらせじゃないか」「控えなかった後藤が悪い」と賛否が分かれたが、このレースを機に後藤騎手はローエングリンを降板することとなった。
あの“木刀事件”から約4年の月日が過ぎていたとはいえ、2人の間で燻っていた火種が再び表面化した結果だったともいえるだろう。今回の岩田康騎手が犯した不祥事も騎乗停止処分だけで、これまでのわだかまりを水に流して一件落着という訳でもないはず。
忘れたころにまた、遺恨勃発という最悪の事態にならなければいいのだが……。
(文=高城陽)
<著者プロフィール>
大手新聞社勤務を経て、競馬雑誌に寄稿するなどフリーで活動。縁あって編集部所属のライターに。週末だけを楽しみに生きている競馬優先主義。好きな馬は1992年の二冠馬ミホノブルボン。馬券は単複派で人気薄の逃げ馬から穴馬券を狙うのが好き。脚を余して負けるよりは直線で「そのまま!」と叫びたい。