JRA 武豊「G1初制覇」菊花賞(G1)1番人気が『ウマ娘』SSR登場! ヤエノムテキは地方の怪物オグリキャップら第二次競馬ブームに“飲み込まれた”悲運の皐月賞馬
夏の中日スポーツ賞4歳S(G3、現ファルコンS)で「弾丸シュート」サッカーボーイに一蹴されたものの、トライアルの京都新聞杯(G2)を勝利。ダービー馬サクラチヨノオーが不在だったこともあって、ヤエノムテキは1番人気に推された。
しかし、後に武豊騎手の初G1として記録されるこのレースの主役は、若き天才騎手と後にオグリキャップと激闘を繰り広げるスーパークリークだった。史上最年少G1制覇に世間が沸く中、距離が長過ぎたヤエノムテキは10着に大敗している。
その後もヤエノムテキの競走生活は、第二次競馬ブームを巻き起こしたスター軍団を相手に苦難の連続だった。
鳴尾記念(G2当時)や大阪杯(G2当時)を勝利するなど、その能力は確かなものがあったはずだが、当時の競馬界の中心にいたオグリキャップ・スーパークリーク・イナリワンの3強にどうしても歯が立たない。
そんなヤエノムテキに転機が訪れたのは、岡部幸雄騎手への乗り替わりだった。
5歳を迎えたヤエノムテキはG1だけでなくG2でも敗れ続け、競走馬として下り坂の状況だったが、ここで陣営が主戦騎手の交代を決断。迎えたのは「西の武豊・東の岡部」と称されるほどの超大物ジョッキーだった。
新コンビ結成の初戦となった安田記念(G1)、続く宝塚記念(G1)とオグリキャップに後塵を拝したヤエノムテキだったが、迎えた天皇賞・秋(G1)の最後の直線で早め先頭に立つと、最後はメジロアルダンの追撃をアタマ差振り切って、久々のG1勝利を挙げた。
1番人気に推されていたオグリキャップは故障続きで明らかに本調子ではなかったものの無事之名馬、競馬はレースを勝ったものが強いのだ。ヤエノムテキにとって、この天皇賞・秋がオグリキャップに初めて先着したレースだった。
あれから約30年。結局、オグリキャップが奇跡の復活を遂げた有馬記念(G1)までお付き合いするなど最後まで脇役だったがヤエノムテキを知っているファンは少ないかもしれないが『ウマ娘』として登場することで、改めて脚光を浴びることとなった。
オグリキャップ・スーパークリーク・イナリワンの宿命のライバルたち3強は、すでに『ウマ娘』入りを果たしている。30年前のリベンジへ、今度はウマ娘ヤエノムテキの活躍に注目したい。
(文=浅井宗次郎)
<著者プロフィール>
オペックホースが日本ダービーを勝った1980年生まれ。大手スポーツ新聞社勤務を経て、フリーライターとして独立。コパノのDr.コパ、ニシノ・セイウンの西山茂行氏、DMMバヌーシーの野本巧事業統括、パチンコライターの木村魚拓、シンガーソングライターの桃井はるこ、Mリーガーの多井隆晴、萩原聖人、二階堂亜樹、佐々木寿人など競馬・麻雀を中心に著名人のインタビュー多数。おもな編集著書「全速力 多井隆晴(サイゾー出版)」。