岩田康誠→武豊で「砂のサイレンススズカ」爆誕! 合計「約80馬身」怪物スマートファルコンは何故「ダート王」として認められなかったのか
3歳夏のダート転向後、スマートファルコンの主戦はずっと岩田康誠騎手が務めていたが、落馬負傷の影響で5歳秋のから武豊騎手に乗り替わった。
しかし、新コンビ結成となった日本テレビ盃(G2)では、3番手からレースを進めたものの3着。前を行ったフリオーソとトランセンドを捕まえることができなかった。
このレースを機に、武豊騎手はスマートファルコンの競馬に“革命”をもたらした。かつて自身が手綱を握った伝説の逃げ馬サイレンススズカのように、ライバルやペースを気にせず、自身のスピードと持久力を頼りに大逃げするスタイルへ変貌を遂げたのだ。
すると本番のJBCクラシックでは、同じ船橋1800mだった日本テレビ盃で2馬身半差をつけられたフリオーソに、今度は7馬身差をつける圧勝劇。「砂のサイレンススズカ」が誕生した瞬間だった。
覚醒したスマートファルコンは、この勝利を皮切りに怒涛の9連勝。ちなみにこの間、2着馬につけた着差は約40馬身と、もはや手が付けられないほどの強さだった。
その後、スマートファルコンは日本代表としてドバイワールドカップに挑戦。世界の強豪を相手に2番人気という支持を集めたが、ゲートが開く前に扉に突進してしまい、頭を打って出遅れるという、微笑ましいエピソードを残して競走生活を終えている。
中央馬ながら通算34戦で中央8戦、地方が25戦、海外1戦。地方競馬が絶頂期を迎え、交流重賞が中央重賞と同じように注目を集める今なら、スマートファルコンは誰もが認める「ダート王」として、もっとスポットを集める存在だったに違いないだろう。
(文=銀シャリ松岡)
<著者プロフィール>
天下一品と唐揚げ好きのこってりアラフォー世代。ジェニュインの皐月賞を見てから競馬にのめり込むという、ごく少数からの共感しか得られない地味な経歴を持つ。福山雅治と誕生日が同じというネタで、合コンで滑ったこと多数。良い物は良い、ダメなものはダメと切り込むGJに共感。まれに自分の記事で泣く。