JRA武豊や柴田善臣に記録を塗り替えられた「第一人者」にクローズアップ! 時代に風穴を開けた偉大な先駆者が残した2つの功績
岡部元騎手が、所属していた鈴木清厩舎を離れてフリーになったのは1984年。こちらも今から40年近く昔の話で、フリー3年目の1986年には、年間101勝を記録。以降はコンスタントに、年間100勝前後をマークするようになった。
今よりも、厩舎に守られていたといえる当時の騎手たち。つまり厩舎に属することで、ある程度は騎乗馬を確保することが可能となり、いわゆる“斡旋漏れ”がない時代でもあった。
こうした時代に風穴を開けた岡部元騎手。“フリー騎手”となり、勝ちまくることで時代は一変。常に勝利を求める馬主や調教師から騎乗依頼が殺到し、「強い馬に乗っているから勝てる」というやっかみも、「実力があるから、強い馬が集まる」という風潮に変化。現在では当たり前となった“フリー騎手”のモデルとなったといえる。
岡部元騎手が、引退を表明したのは2005年3月10日。56歳のシーズンで、3月20日の中山競馬10Rは「岡部幸雄騎手引退記念競走」と、レース名を変えて行われた。
地方競馬では引退騎手の名前を冠名にしたレースをみかけるが、JRAではもちろん初めて。当日の中山競馬場は、6万人を超える観衆を集める大盛況ぶりで、引退記念グッズもお昼過ぎにほぼ完売するなど、中山は「岡部フィーバー」に包まれたという。
果たして現在の競馬界で、引退する騎手の名前がレース名になるケースはあるだろうか。引退記念グッズが発売されるのも、武豊騎手が引退するときくらいしか思いつかないだろう。
輝かしい成績や記録はもちろん、日本競馬界への貢献度は計り知れない岡部元騎手。今回、柴田善騎手がその記録を更新したことをきっかけに、岡部元騎手の残した偉大な功績は現在の競馬界にも大きな影響を残している。
(文=鈴木TKO)
<著者プロフィール> 野球と競馬を主戦場とする“二刀流”ライター。野球選手は言葉を話すが、馬は話せない点に興味を持ち、競馬界に殴り込み。野球にも競馬にも当てはまる「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」を座右の銘に、人間は「競馬」で何をどこまで表現できるか追求する。