JRA新人「最多制裁」最も“危険”なルーキー角田大和が騎乗停止! フジキセキ、ジャングルポケットの主戦も任された“偉大過ぎる”父の仰天エピソード

 先週8日の新潟8R、最後の直線で角田大和騎手が騎乗したフルネーズが外側に斜行。被害馬の進路が狭くなったことで、同騎手には21・22日の2日間の騎乗停止処分が下された。

 今年3月デビューの新人騎手のなかで、騎乗停止は3人目。1人目の西谷凜騎手は、自らの体重調整ミスが原因で騎乗停止に。2人目の松本大輝騎手は、レース終盤のゴール手前で馬を追う動作を緩めたと判断されて騎乗停止処分を受けた。

 角田騎手の騎乗停止は、フルネーズが自ら外に逃避したことが一因とされているものの、8日現在、新人騎手のなかで最多の制裁点を受けているという意味では、「最も危険なルーキー」といえるかもしれない。

 そんな角田騎手の父はご存知、元騎手の角田晃一調教師。父は騎手として1989年にデビュー。同期には田中勝春騎手や、すでにムチを置いた佐藤哲三元騎手らがいる。

 息子の方は、8月1週目を終えた時点で12勝をマークしているが、父のデビュー1年目は7月を終えた時点で21勝。8月終了時点で25勝と、同じ1年目の息子には圧倒的な差をつけていた。

 さらに父・晃一騎手は43勝を記録して、最多勝利新人騎手を受賞。さらに3年目の91年には、シスタートウショウで桜花賞(G1)優勝。早々とG1ジョッキーの仲間入りを果たしている。

 さらに95年には、春のクラシック二冠をほぼ確実視されていたフジキセキの主戦を務めるも、弥生賞(G2)後に故障発生。志半ばでターフを去ることとなり、前年のナリタブライアンに続く三冠馬誕生の夢は潰えた。その無念を晴らすべく、2001年にはフジキセキと同馬主、同厩舎、同騎手で挑んだジャングルポケットの手綱を握り、見事に日本ダービー(G1)を制覇。悲願のダービージョッキーの座に就いている。

 2010年に引退するまで、通算713勝を記録している“偉大な父”。もちろん父が残した記録だけでは、当時の父と、現在の息子との騎乗技術を比較することはできない。

 あえて父と息子の差を挙げるならば、若手騎手時代の父の最大のストロングポイントといえる“強心臓”ぶりを挙げたい。

 自身初G1優勝となった、前出の桜花賞。4コーナー過ぎで勝利を確信した父・晃一騎手は、ゴール前からすでにガッツポーズのことを考えていたという。以前のレースで、裁決委員からゴール前にガッツポーズをしたことで注意を受けており、そのことも脳裏によぎったのか桜花賞ではゴール後、3秒くらい遅らせてガッツポーズ。

 このエピソードだけでも、十分な“強心臓”ぶりが伝わるが、さらに当時のインタビューで、「(遅らせたせいで)テレビにガッツポーズが映らなかった。まだまだ甘いですね(笑)」とコメントしているから驚きだ。

 普通の若手騎手なら、初G1制覇ともなれば「無我夢中でした……」などとコメントするのが定番だろう。しかし当時の父・晃一騎手は正反対。恐ろしいほどの余裕をみせ、自信に満ち溢れた発言を残している。

 果たして角田騎手は、当時の競馬ファンを大いに沸かせた“偉大な父”の背中に追いつき、追い越すことができるか。

 まずは一歩一歩、確実にルーキー時代の父の勝ち星に近づきたい角田騎手。騎乗停止前となる、今週の競馬での騎乗ぶりに注目したい。

(文=鈴木TKO)

<著者プロフィール> 野球と競馬を主戦場とする“二刀流”ライター。野球選手は言葉を話すが、馬は話せない点に興味を持ち、競馬界に殴り込み。野球にも競馬にも当てはまる「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」を座右の銘に、人間は「競馬」で何をどこまで表現できるか追求する。

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