武豊とシーキングザパールを幻惑し、サイレンススズカの心を折った稀代の逃げ馬。1000m通過62.7秒と56.5秒「変幻自在」の逃げ馬を手掛けた個性派調教師【特別寄稿】

 1000m通過「62.7秒」と「56.5秒」。

 熱心な競馬ファンなら、これが競馬においてどれだけ大きな差があるのか容易に想像できるはずだ。超スローペースと超ハイペース、そこには「まったく異なる世界」と言えるほど、途方もなく大きな隔たりがある。

 秋華賞(G1)でメジロドーベルに再度敗れたキョウエイマーチは、マイル路線に舵を切った。その初戦となったのが、1997年のマイルCSである。本馬はそこで1000m通過56.5秒という超ド級のハイペースを刻んでいる。

 これには後に武豊騎手とのコンビで稀代の逃げ馬と称されたサイレンススズカでさえ、ハナに立つことを諦めたほど。ちなみに逃げ馬に転向した本馬がハナに立てなかったのは、後にも先にもこのレースだけだ。

 しかし、述べるまでもなく、これはスタミナを温存したい逃げ馬にとって、あまりに無謀といえるペースだった。実際にこのレースで2番手だったサイレンススズカは15着に沈んでおり、3番手を追走したヒシアケボノも14着に大敗している。

 だが、このハイペースを刻んだ“張本人”キョウエイマーチは、ゴールまで驚異的な粘りを見せての2着。それも唯一本馬を捕えることができたのは、後の世界のマイル王タイキシャトルである。

 超スローペースでシーキングザパールを幻惑し、あのサイレンススズカに自身のスタイルを曲げさせた超ハイペースでも、タイキシャトルに最後まで抵抗したキョウエイマーチ。これだけ完成度の高い逃げ馬となったのは、本馬の資質や松永騎手の手腕も然ることながら、やはり野村厩舎の厩舎力に他ならない。

 野村厩舎といえば、ミホノブルボンの三冠が懸かった菊花賞(G1)で、主役にハナを譲らなかったことで有名な刺客キョウエイボーガン、三冠馬ナリタブライアンに日本ダービー(G1)で挑戦状を叩きつけたナムラコクオーなど、競馬の歴史を彩った名脇役たちも思い出される。

 JRA通算488勝でG1・2勝は名調教師と呼ばれるには一歩及ばないかもしれないが、紛れもなく競馬を盛り上げ続けた個性派伯楽だった。どうか安らかに。

(文=浅井宗次郎)

<著者プロフィール>
 オペックホースが日本ダービーを勝った1980年生まれ。大手スポーツ新聞社勤務を経て、フリーライターとして独立。コパノのDr.コパ、ニシノ・セイウンの西山茂行氏、DMMバヌーシーの野本巧事業統括、パチンコライターの木村魚拓、シンガーソングライターの桃井はるこ、Mリーガーの多井隆晴、萩原聖人、二階堂亜樹、佐々木寿人など競馬・麻雀を中心に著名人のインタビュー多数。おもな編集著書「全速力 多井隆晴(サイゾー出版)」(敬称略)

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