元JRA藤沢和雄氏「悲願」の陰にあったある牝馬の物語……超異例「5歳夏」デビュー馬がたどり着いたG1舞台と引退直後の秘話

 今週土曜の函館メインは、ハンデ戦のTVh杯(3勝クラス、芝1200m)が行われる。オープン入りを目指す一戦に今年はフルゲートの16頭が揃った。

 現在は3勝クラスだが、レースが創設された1997年から2008年までの12年間は1つ下のクラス(現2勝クラス)で行われていた。創設から7年目を迎えた2003年、その年も土曜のメインで行われた一戦で衝撃の出来事が発生する。

藤沢和雄氏「悲願」の陰にあったある牝馬の物語…

 勝利を飾ったのは5番人気のレディブロンドという藤沢和雄厩舎所属の5歳牝馬だった。12頭立ての最後方からレースを進めると、直線で強烈な末脚が爆発。G1レースにも出走したことがあるオメガグレイスやビッグスマッシュといった実績馬を一蹴したのだ。

 その勝ち方も衝撃的だったが、それ以上にファンを驚かせたのはレディブロンドが未出走馬だったためだ。2歳馬たちが次々とデビュー戦を迎えるさなか、5歳牝馬のレディブロンドが“3年遅れ”のデビュー戦を既走馬相手に勝ち切った衝撃は計り知れなかった。

 ただ、もともとは期待馬で、藤沢厩舎に預託されたことからもそれが分かるだろう。血統も一流だった。父シーキングザゴールド、母ウインドインハーヘアというアメリカ生産馬で、母の名前からも分かる通り、4歳下の半弟はあのディープインパクトである。

 そんなレディブロンドのデビューが遅れたのはとにかく体質が弱かったから。使いたくてもレースには使えない状態が続き、普通なら3歳を過ぎた時点で未出走のまま繁殖入りさせてもおかしくなかったはずだ。ところが藤沢調教師(当時)は競走馬としての能力に懸け、5歳夏までデビューを引っ張った。

 名伯楽が3年間も我慢した甲斐は初戦の勝利だけにとどまらなかった。レディブロンドは夏の北海道シリーズで条件クラスを4連勝。秋には中山の1600万下(現3勝クラス)も勝って、デビューからの連勝を5に伸ばしていた。そして勢いそのままに連闘策でスプリンターズS(G1)へと矛先を向けた。

「5歳夏までレースを使えなかった虚弱体質の馬がいきなり1000万下のレースに勝ったことにも驚かされましたが、約3か月間で5戦5勝の成績を残したことはそれ以上に衝撃でした。

『無敗馬』という肩書も手伝ってレディブロンドはスプリンターズSで3番人気に支持されました。6連勝を期待したファンも多かったと思いますが、さすがに連闘策でいきなりのG1は荷が重かったと思います。それでも中団から脚を伸ばして、勝ち馬から0秒2差の4着。デビューから3か月半の馬としては十分すぎる結果だったと思います」(競馬誌ライター)

 6戦目にして初黒星を喫したレディブロンドはその後、歩様が悪化。この時は藤沢氏もあっさり引退を決意。翌年から繁殖入りさせることが発表された。

 実はレディブロンドの繋養先は契約でアイルランドの名門クールモアと決まっていた。ところが、レディブロンドの国外流出を阻止すべく動いたのがノーザンファームの吉田勝己代表だった。吉田氏は出国直前の検疫中にクールモアと交渉。契約をまとめると、急転直下、ノーザンファームでの繁殖入りが決定した。

 繁殖牝馬となったレディブロンドは11歳で早逝したが、それまでに5頭を出産。3番仔のゴルトブリッツは帝王賞(G1)を勝つなど、ダートで活躍した。2番仔のラドラーダは3勝クラスまでしか勝ち上がれなかったが、母としてレイデオロを出産。ご存じの通り、17年に日本ダービーを制覇し、藤沢氏にダービートレーナーの称号を送っている。

 もしあのとき藤沢氏がレディブロンドの現役生活を引っ張っていなければ、契約通りクールモアで繁殖入りしていただろう。そして、藤沢氏がダービーを勝つこともなかったかもしれない。
 
 19年前のTVh杯から始まった物語は、レイデオロが種牡馬入りした今もなお続いている。

(文=中川大河)

<著者プロフィール>
 競馬ブーム真っただ中の1990年代前半に競馬に出会う。ダビスタの影響で血統好きだが、最近は追い切りとパドックを重視。

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