武豊騎手が語る「桜花賞ベストレース」は”伝説”の出遅れ勝ちでなく「あの名牝」の地味レース?天才が重要視する偶然ではない「必然」のプロセス
武豊騎手はこのレースに関して「逃げ馬を見ながら、ペースを左右できる2番手を並走。ライバルが取りたいであろうポジションを先に取り、直線で早めに置き去りにして、後続の追撃をかわす主導権を握り続けることができた、ほぼ完璧なレース」と分析している。
確かに武豊騎手が述べている通り、93年の桜花賞のベガは実に完成されたスムーズな競馬だった。2番手から最後の直線抜け出して、ユキノビジンの猛追をクビ差しのいでの戴冠は見事の一言。ただ、そこにはシャダイカグラのような派手さはなく、どちらかといえば「卒のない競馬」をしたといえなくもない。
武豊騎手は何故、自らが「恋人」と語るシャダイカグラではなく、このベガの桜花賞をベストレースに挙げたのか。考えられる理由は2つあった。
まず1つは、当時のファンやメディアの多くが「ユタカマジック」として絶賛したシャダイカグラの桜花賞。その起因となった”出遅れスタート”が意図的ではなかったことだ。武豊騎手は後に、この事実に関して「もし普通にスタートしていたら、もっと楽に勝てたと思います」と話しており、決して出遅れるつもりはなかったと主張している。
つまり、いうなればシャダイカグラの桜花賞は「偶然」の産物であり、強いて挙げるなら、武豊騎手が事前にシャダイカグラの出遅れを可能性の1つとして予期していたからこそ、あれだけの奇跡的なレース運びに繋がったということだ。
では、逆に武豊騎手は何故、ベガの桜花賞を特に高く評価しているのか。それは当時のベガのレースぶりをみれば、答えが見えてくるのではないだろうか。
デビュー2戦目からコンビを組むこととなった武豊騎手とベガ。仕切り直しの新馬戦を4馬身差で圧勝し、2戦目のチューリップ賞も3馬身差で快勝。その結果、単勝2.0倍の1番人気で桜花賞に駒を進めている。