「武豊くんから話を聞いていた」横山典弘が代名詞「ポツン」で制した“唯一の重賞”は歴史の転換点に?
今週日曜の中山メインは皐月賞トライアルのスプリングS(G2)が行われる。京成杯(G3)3着のセブンマジシャン、デイリー杯2歳S(G2)覇者のオールパルフェ、2戦2勝のベラジオオペラあたりが上位人気を形成しそうだ。
デビューから1年に満たない若駒が集うスプリングSでは、スタートから最初のコーナーへの入り方、ポジション取りが重要。過去10年の成績を見ても、初角10番手以下の馬は「0-1-1-36」とさっぱりで、勝利したのは2005年のダンスインザモアまでさかのぼらなければならない(2011年阪神開催を除く)。
18年前のダンスインザモアは、初角を後方2番手で通過しての勝利。勝負所で捲り気味に押し上げていき、直線で豪快に差し切ったが、そのレースぶりはまさにその前年(04年)のリプレイを見ているようだった。
04年のスプリングSを制したのが、後にディープインパクトの全兄として知られることになるブラックタイドである。
2歳時からクラシック候補に名前が挙がるほどの期待馬で、デビュー戦を武豊騎手とのコンビで勝利。出世レースだったラジオたんぱ杯2歳S(G3)で単勝1.4倍の断然人気に推されるも、まさかの4着に敗れたが、続く若駒S(OP)に勝利して2勝目を挙げた。4戦目のきさらぎ賞(G3)でも再び圧倒的な支持を得たが、これを裏切っての2着と重賞の壁にぶち当たっている感があった。
そして迎えたスプリングSは、武騎手が同日の阪神大賞典(G2)でリンカーンに騎乗するため、横山典弘騎手が代打として起用された。
「ポツン」で制した“唯一の重賞”は歴史の転換点に?
デビューから武騎手とのコンビで好位からの競馬を続けていたブラックタイドだが、この日は一転、最初のコーナーではなんと16頭立ての16番手。つまり最後方で通過し、末脚に懸ける競馬を試みた。
2コーナーでも最後方ポツンのままだったブラックタイドは、向正面で徐々にポジションを押し上げていった。3コーナーでようやく集団に追いついたが、それでもまだ後方に位置。3~4コーナーの中間あたりで鞍上がゴーサインを送ると、捲り気味に中団に進出していった。
最後の直線では、外から懸命に追いすがるキョウワスプレンダとの叩き合いとなったが、これを1馬身差で退けて、ようやく念願の重賞タイトルを手に入れた。
レース後、横山典騎手は、「武豊くんから話を聞いていたんです。ゲートの出が今ひとつなので出たなり、とにかくリズムを崩さないように乗った」とレース前日に主戦騎手からもらったアドバイスもあって、最後方の位置取りになったことを明かした。
結果的に「後ろから行っていいリズムで、ためるだけ脚をためた」作戦が見事的中。新味を見せたブラックタイドは有力馬の1頭として皐月賞(G1)を迎えたが、武騎手に手が戻ったクラシック初戦で後方待機策を試みるも馬場とペースにも泣き、16着に敗れている。
その後、ブラックタイドは屈腱炎を発症し、2年以上の長期休養に突入した。5歳夏に復帰し、7歳夏まで現役を続けたものの結局、スプリングSが最後の勝利となった。
22戦3勝の成績で現役を終えたブラックタイドだが、長期休養中に全弟ディープインパクトが大活躍したこともあって、引退後は種牡馬入り。あくまでもディープインパクトの代替種牡馬という位置付けだったが、キタサンブラックをはじめ活躍馬を多数輩出し、種牡馬としては大成功を収めている。
種牡馬入りの決め手となったのは、もちろん弟の存在が大きかったが、スプリングSで重賞タイトルを手にしていなければ、それも叶ったかどうか。タラレバにはなるが、もし横山典騎手の代名詞となったポツンが炸裂していなければ、直仔のキタサンブラックも孫のイクイノックスもこの世に生を受けていなかったかもしれない。
これまでJRAの重賞を184勝している横山典騎手だが、実は初角を最後方で通過しての勝利はたった1度だけ。それが04年のスプリングSだった。
今後のキタサンブラックの種牡馬としての活躍、そしてイクイノックスの活躍次第では、04年のスプリングSが歴史の転換点と呼ばれる日が来るかもしれない。