武豊騎手「亡き父」武邦彦さんの一周忌にビールで献杯……「父が大好きだった小倉」で新たな名馬との出会い
『葬儀の準備にアタフタしていたことを思い出していました』と当時を振り返っているが、後日行われた告別式では、家族を代表して「1カ月ほど前から覚悟はしていましたが、現実を突きつけられるとつらくて悲しいです。本当に優しい方でした。父の示した道を家族で歩んで参りたいと思います。誠に、ありがとうございました」と時折涙ぐみながら、声を絞り出すように挨拶したという話は、今なお記憶に残っている人も多いことだろう。
あれから1年、今週の武豊騎手はデビュー戦からコンビを組んでいたエアスピネルが向かう札幌ではなく、新たな名馬との出会いを求めて「父が大好きだった」と話す小倉へ向かう。逆に北村宏司騎手からバトンを受け継ぐ形でキタサンブラックと出会ったように、別れもあれば、出会いもあるのが騎手の”運命(さだめ)”だ。
また競馬場では、ほとんど笑顔の印象しかない武豊騎手だが、一方で父邦彦さんは意外と涙もろいところがあったようだ。
「1973年の菊花賞(G1)にタケホープで挑んだ邦彦さんは、同年の日本ダービー(G1)を勝つなど主戦を務めていた嶋田功騎手が、わずか1週間前に落馬事故でケガを負ったため急遽の乗り替わりでした。
レースは当時、競馬ブームの中心にいた皐月賞馬ハイセイコーをハナ差退けての勝利。レース後、タケホープを管理する稲葉幸夫調教師が『嶋田にも乗せてやりたかったな』と目頭を熱くしたのを見て、邦彦さんももらい泣き。その後、嶋田騎手に戻ったタケホープは翌年の天皇賞・春(G1)を制覇しています」(競馬記者)