JRAきっての「ドS貴公子」川田将雅騎手のメンタルが心配……悪質な”肘打ち”に耐え、フォワ賞敗戦で”濡れ衣”を着せられた「忠犬」は今、何を思う
先月14日から25日までイギリスに遠征することが決まっていたのは、セレクトセールで世界的な実績を持つ馬主シェイク・ファハドに「馬は用意する」と声を掛けられたからだ。しかし、出発前にビザの都合で騎乗できないことが判明した。
馬に乗れない以上、本来なら遠征を中止する選択肢もあったが、川田騎手は突如行き先をフランスへ変更。地元で厩舎を営む小林智調教師とコンタクトを取ったとはいえ、乗れる保証があったわけではないが「競馬に乗れなくても勉強できることは多々あると思いますので、有意義な時間を過ごしたい」と遠征を敢行した。
その脳裏には自身の成長も然ることながら、やはりサトノノブレスとの凱旋門賞があったのだろう。それはつまり、自分ではない他者を勝たせるための努力だ。
幸い、いくつかのレースに乗り有意義なフランス遠征を終えた川田騎手。しかし、肝心のフォワ賞では初騎乗となるシャンティイ競馬場に戸惑い、自身のサトノノブレスだけでなく、サトノダイヤモンドまで完敗。遠征の成果を満足に発揮することは叶わなかった。
さらに現地情報ではレース後、川田騎手はルメール騎手から叱責を受けたという。彼なりのベストを尽くしたことは述べるまでもないだろうが、結果がすべての世界で結果が伴わなかった以上、実力不足を指摘されるのは騎手として仕方がないのかもしれない。ただ、例え川田騎手のエスコートが完璧であったとしても、サトノダイヤモンドに勝ちはなかったのではないだろうか。欧州の重い馬場に苦しみ、まったく見せ場のない内容だった。
しかし、それでも川田騎手はこれまで何度もしてきたように自分を押し殺し、甘んじて叱責を受け入れたのだろうか。
例え、ここからサトノダイヤモンドが大逆転で凱旋門賞を勝ち、日本競馬の悲願を達成したとしても、賞賛を集め、歴史に名を残すのはルメール騎手ただ一人。それを誰よりも身近に感じながらも、やがて来る「自分の天下」を信じているのだろうか。
耐えて耐え忍んできた”忠犬”は今、何を思う――。
(文=浅井宗次郎)