何故、ドゥラメンテはファン投票6位に甘んじたのか。王者だからこそ課せられる『期待』とその『反動』。分水嶺の決戦を迎えた「日本競馬の総大将」の”謎”を紐解く

ドゥラメンテ(競馬つらつらより

 絶対王者ドゥラメンテが、わずか一度の敗戦で失ったものは他のスターホースと比較しても、あまりにも大きかった。

 前走のドバイシーマクラシック(G1)はドゥラメンテにとっては初の海外遠征であり、しかも負けた相手は、現在芝2400mで世界最強の馬ポストポンドである。

 客観的に見れば、何一つ悲観的になることはない。それに前回は、レース前に落鉄したまま走らされたという明確な敗因まである。本来であれば、そんな状況下で世界王者に2馬身差の競馬ができたのだから、むしろ明るい展望を想像してもいいはずだ。

 だが、ことドゥラメンテという「存在」に至っては、それは許されないのだろう。

 昨年の日本ダービー(G1)をディープインパクトやキングカメハメハといった日本競馬史で最強クラスの名馬を上回るタイムで制し春二冠を達成した際、競馬ファンやメディアの多くは「ドゥラメンテこそが日本史上最強馬」と評価した。

 それも、そのはずである。皐月賞(G1)に続き、同世代をまったく寄せ付けない圧巻の走りは強く「三冠馬の出現」を意識させるものであり、その上にドゥラメンテはオークス馬ダイナカールからエアグルーヴ、アドマイヤグルーヴと受け継がれてきた日本最高の名牝系一族の末裔。まさに日本競馬の歴史の結晶ともいえる存在だ。

 JRAが発表したその年の日本ダービーのレーティングが過去最高だったことも相まって、人々のドゥラメンテに対する期待は爆発的に膨れ上がった。

 しかし、日本ダービー制覇からわずか1カ月後の6月27日、ドゥラメンテの骨折が発覚。「主役」を失った日本の競馬界全体が深いため息に包まれ、これまで完璧なキャリアを重ねていた本馬に、わずかばかりの”影”が差し込んだ瞬間だった。

 骨折からの復帰は慎重に慎重を重ねた分だけ、9カ月もの月日を要した。年が明け、数多くの活躍馬が出現する中で、競馬の彩もすっかり変わった今年3月の中山記念(G2)。ようやくドゥラメンテはターフに帰ってきた。

 9カ月という月日は、人々の記憶をおぼろげにさせるには十分な月日だった。復帰したドゥラメンテは、もはや古い”神話”のような扱いだった。人々に残っていた印象は、ただただ”神”のように強いドゥラメンテのイメージだけだった。

 日本ダービーから、9カ月以上間隔が開いた実戦復帰。馬体重は+18kg、調教の動きはなんとか格好をつけただけで、管理する堀宣行調教師からは慎重な発言が目立った。

 だが、それでも強豪がそろった中山記念(G2)でドゥラメンテは抜けた1番人気に推された。単勝はレース少し前まで1倍台だったが、最終的には2.1倍になった。言い換えれば、誰もがドゥラメンテの勝利を信じており、問われているのは勝ち負けではなく、その「勝ち方」だった。

『さあ、古馬になってパワーアップしたドゥラメンテは、何馬身ちぎってくれるのか――』

 だが、結果的にドゥラメンテは何とか勝ったものの、無冠の大器・アンビシャスにクビ差まで迫られた。中山競馬場は大歓声に包まれていたが、人々の中には決して小さくはない”疑念”が残っていた。

『あれ、ドゥラメンテって、たいしたことないんじゃないか――?』

 しかし、ドゥラメンテが9カ月の休み明けで+18kgの馬体重だったこと、さらにはG1ホースとして斤量も2kg重かったこと、さらにはアンビシャスがもとから強い馬であることなど”競馬の常識”が過熱したファンの頭を冷やし”疑念”の成長を止める。

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