JRA宝塚記念(G1)「三大レース」を振り返る。ヒシミラクルの奇跡、グラスワンダーの衝撃……
衝撃-ダンツシアトル 1995年(平成7年)
優勝馬
宝塚記念はさすがにグランプリだけあって数えきれないほどの衝撃的なレースがあるが、その中でもっとも印象に残るのは1995年のレース中に帰らぬ馬となったライスシャワーだろうか。
1993年の天皇賞(春)を最後に優勝から遠ざかっていた同馬だが、1995年の天皇賞(春)で掟破りの早仕掛けで先頭に立ち、そのまま押し切って優勝、見事な復活を見せつけた。ステイヤーとして名をはせた同馬であったが、宝塚記念のファン投票で1位を獲得したこと、そして引退後の種牡馬評価を高めるために中距離での実績が必要との判断から、陣営は宝塚記念への出走を決断した。
しかし当時問題となっていた高速馬場の影響もあってか、ライスシャワーは第3コーナーで左第一指関節開放脱臼と粉砕骨折を発症、その場で予後不良の診断となり安楽死処分となってしまった。その後、京都競馬場にはライスシャワーの遺髪が収められた記念碑が建立され、美浦トレーニングセンターでも記念碑があるなど今もライスシャワーを訪れるファンは絶えない。非業の死を遂げた同馬であったが、その走りは永遠にファンの心に刻まれたのである。
なお勝ったダンツシアトルもまた、高速馬場の影響かその後屈腱炎を発症して引退を余儀なくされてしまった。この年の宝塚記念は従来のレコードを大幅に更新する好タイムであったが、その代償はあまりにも大きかったのかもしれない。
平成に行われた29回の宝塚記念はどれも記憶に残るものだったが、中でも特に印象的なレースを抜粋した。30回目の今年がどんなレースを見せるのか、ぜひその結末を見届けていただきたい。