武豊を「激怒」させた地方騎手が心中を吐露……交流G1完全制覇を阻まれた「疑惑」のJBCレディスクラシック(G1)を振り返る
前人未到のJRA通算4000勝に、あと10勝を迫っている武豊騎手。歴代最多勝だけでなく、競馬に関するあらゆる記録を持つ、現役にして「レジェンド」と呼ばれる存在なのは述べるまでもない。中でもJRAのG1コンプリートまで、あと朝日杯フューチュリティSとホープフルSの2つに迫っていることは、メディアでも毎年のように取り上げられている。
実はそれと同じように地方競馬との「交流重賞」においても、G1コンプリートまであと1つに迫っていることはあまり知られていない。
交流重賞開放元年となった1995年から、今年で23年。中央競馬だけでなく地方競馬でも偉大な結果を積み上げてきた武豊騎手にとって、残るG1は2011年に新設されたJBCレディスクラシックのみ。中央競馬よりも一足早く”リーチ”がかかっている。
そんな武豊騎手にとって、交流G1完全制覇における最大のチャンスだったのが、昨年11月に大井競馬場で行われたJBCレディスクラシックだった。
最後の直線で一度は抜け出し掛けた武豊騎乗のプリンシアコメータだったが、そこに大井の真島大輔騎乗のララベルが激しく接触。武豊騎手が手綱を引くほどの大きな不利があったが、ララベルはそのまま先頭でゴール。レースは審議となったが結局、到達順位通りで確定となり、JBCレディスクラシック史上初の地方馬の勝利となった。
しかし、歴史的快挙も束の間……レース後、真島騎手の騎乗停止処分が決定。不利を受けた武豊騎手も「着差(アタマ差)が着差だけに不利が痛かった」と珍しく怒りを露にすると、レースを観戦していた競馬ファンの間でも大きな物議を醸した。
さらにその後、ララベルを管理する荒山勝徳調教師がテレビ番組を通じて、プリンシアコメータの関係者に謝罪。このレースにおける審議の是非だけでなく、現行の降着ルールにおいても、多くの識者やファンから問題点の指摘や疑問の声が上がる事態に発展した。