JRA池添謙一「2度結婚」「DV不倫」よりも紆余曲折の騎手人生。オルフェーヴル三冠→外国人で凱旋門賞、勝負強さは当代随一だが……
2018年12月23日、平成最後の有馬記念を制したのは3歳馬ブラストワンピースと池添謙一騎手だった。池添はこれで有馬記念最多の4勝という大記録を達成、まさに大一番に強い騎手として、改めてその存在を見せつけた。
しかしこのブラストワンピースと池添のコンビは、有馬記念で勝利するまでに紆余曲折があった。日本ダービーと菊花賞では、その不甲斐ない騎乗内容から大竹調教師が有馬記念での乗り替わりを示唆したが、シルクレーシングの米本氏の意向としてラストチャンスが与えられたといわれている。
もしこの有馬記念で結果が出なければ、来年は他の騎手への乗り替わりとなっていただけに、見事勝利を収めたのはさすがの一言。レース前からかなり気合が入っていたというが、来年に向けて首の皮はつながったようだ。
JRA所属になった外人騎手のクリストフ・ルメールとミルコ・デムーロが関西に所属したことで、関西中堅騎手は騎乗機会が激減した。特にノーザンファームの有力馬はほとんど外国人騎手に流れたため、その状況を見た池添騎手は関東に拠点を移し、騎乗馬を確保するなど必死になっていたのは記憶に新しい。そういった経緯があっての有馬記念だけに、本人も万感の思いだろう。
今年でデビュー20年、まさに波瀾万丈、激動の20年を歩んできた池添騎手の騎手人生を振り返ってみよう。
池添は現JRA調教師である池添兼雄の息子として誕生し、弟も調教師の池添学、そして妹は池添のバレットを担当するという、まさに競馬一家だ。武豊に憧れて騎手を目指し、1998年に騎手デビュー。競馬学校の同期には荻野要、 酒井学、白濱雄造、竹之下智昭、太宰啓介、中谷雄太、 野崎孝仁、穂苅寿彦がいるが、間違いなく池添が世代ナンバー1ジョッキーだ。
デビュー1年目でいきなり北九州記念(G3)を勝つなど38勝、JRAの最多勝利新人騎手を受賞している。そして2002年の桜花賞、13番人気アローキャリーを華麗にエスコートした池添は念願の初G1勝利を達成する。