JRA栗田博憲調教師「今思い返しても胸くそ悪い」。名伯楽の”心残り”……波紋を呼んだ「年度代表馬」論争から26年
例年以上の盛り上がりを見せたフェブラリーS(G1)も終わり、今週末からいよいよ春競馬が開幕。だが競馬界では同時に、定年を迎えた調教師などが引退する”別れの季節”でもある。
特に今年は、数多くの名馬を手掛けた調教師8名が同時に引退。各陣営にとって”有終の美”を飾るために力が入るのは当然だが、中でも土日合わせて14頭の大攻勢をかける栗田博憲厩舎は特に注目される存在だ。
「平常心ですよ」
『中日スポーツ』の取材に”いつも通り”を強調した栗田調教師。一昨年に引退した皐月賞馬イスラボニータを手掛けるなど、晩年もファンを沸かせた名伯楽だが、引退するにあたって大きな「心残り」が1つだけあるという。
「あれは、今思い返しても……」
栗田調教師がそう振り返るのは、厩舎が上げたG1全6勝の内、3勝を上げた名マイラー・ヤマニンゼファーのことだ。
1993年に安田記念(G1)と天皇賞・秋(G1)を制したヤマニンゼファー。当時、マイルと中距離の”二階級制覇”を成し遂げられたのは、オグリキャップやニッポーテイオーといった一部の歴史的名馬だけであり、距離の壁を覆した本馬も高く評価された。
しかし、同年の年度代表馬に選出されたのは菊花賞馬のビワハヤヒデ。それも同馬が勝ったG1はその1つだけだったことから、当時の競馬ファンやマスコミに間でも大きな議論を呼んだ。