日本競馬の海外挑戦史【1958-1999】ハクチカラ~ミッドナイトベット
【1995年】
4月のクイーンエリザベス2世カップにフジヤマケンザンが出走、10着。また12月の香港国際カップにも出走し、見事1着。蛯名正義騎手を背に8番人気ながらレコードタイムで日本馬として36年ぶりの重賞勝利となった。香港国際ボウルにドージマムテキが出走、5着。香港国際ヴァーズにタニノクリエイトが出走、4着。
【1996年】
第一回ドバイワールドカップにライブリマウントが出走、6着。タイキブリザードがブリーダーズカップ・クラシックへ出走、13着。香港国際ボウルにドージマムテキが出走、2着。香港国際カップにシーズグレイスが出走、9着。
【1997年】
ドバイワールドカップにホクトベガが出走、国内最強ダート女王の遠征に期待が高まったが、レースはまさかの競走中止で安楽死処分。タイキブリザードがブリーダーズカップ・マイルへ再遠征、6着。香港国際ボウルにシンコウキングが出走、3着。香港国際ヴァーズにエイシンサンサンが出走、12着。香港国際カップにサイレンススズカが出走、5着。クイーンエリザベス2世カップにダンスパートナーとマイネルブリッジが出走、結果は8、9着。
【1998年】
ドバイワールドカップにキョウトシチーが出走、結果は6着。ジャック・ル・マロワ賞にタイキシャトルが出走、岡部幸雄騎手を背に1着。モーリス・ド・ゲスト賞にシーキングザパールが出走、武豊騎手を背に見事1着。翌月ムーラン・ド・ロンシャン賞にも出走したがシーキングザパールが出走、5着。香港国際ボウルにロイヤルスズカが出走、4着。香港国際カップにミッドナイトベットが出走、河内洋騎手を背に見事1着。
【1999年】
アベイ・ド・ロンシャン賞にアグネスワールドとドージマムテキが出走、アグネスワールドが1着、ドージマムテキは13着。イスパーン賞にエルコンドルパサーが出走、2着と好走し、また凱旋門賞でも大健闘の2着を取る。香港国際ボウルにミッドナイトベットが出走、結果は8着。香港国際ヴァーズにローゼンカバリーが出走、結果は7着。
1990年代後半はフジヤマケンザン、タイキシャトル、アグネスワールド、シーキングザパール、ミッドナイトベット、エルコンドルパサーが活躍し、日本競馬が世界に対し大きな一歩を踏み出した時代だった。そして2000年代に入り、凱旋門賞、ドバイワールドカップの初勝利と歴史は動いていく。