日本競馬の海外挑戦史【2000-2016】ステイゴールド~ラニ
2000年代に入ると海外レースへの挑戦が飛躍的に増加した。この背景には
・香港、ドバイなどで国際競走の増加
・海外遠征のノウハウの確立
・競馬関係者の上昇志向
・主催者による遠征資金負担
などがあると思われる。特に国内のビッグレースを制覇し尽くした感のある社台グループは新たな挑戦の場として海外を目指した結果、数々のビッグレースを制することに繋がった。2000年以降の記録は以下の通りである。
【2000年】
ゴドルフィンマイルにタガノサイレンスが出走、6着。ドバイシーマクラシックにゴーイングスズカ、出走、5着。ドバイワールドカップにワールドクリークが出走、6着。
キングズスタンドステークスにアグネスワールドとドージマムテキが出走し、2着と22着。ジュライカップにアグネスワールドが出走、1着。キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスにエアシャカールが出走、5着。モーリス・ド・ゲスト賞にドージマムテキが出走、11着。
ブリーダーズカップ・スプリントにアグネスワールドが出走、8着。ブリーダーズカップ・フィリー&メアターフにマルターズスパーブが出走、13着。
【2001年】
ゴドルフィンマイルにノボトゥルーが出走、9着。ドバイシーマクラシックにステイゴールドが出走、1着。ドバイターフにイーグルカフェが出走、9着。ドバイワールドカップにトゥザヴィクトリーとレギュラーメンバーが出走し、2着と9着。
香港ヴァーズにステイゴールドが出走、1着。香港スプリントにダイタクヤマトとメジロダーリングが出走、12着と13着。香港マイルにエイシンプレストンとゼンノエルシドが出走し1着と14着。香港カップにアグネスデジタルが出走し、1着。この年の香港は日本馬がG1を3勝と歴史的な一日だった。
【2002年】
ドバイゴールデンシャヒーンにブロードアピールが出走、5着。ドバイシーマクラシックにホットシークレットが出走、7着。ドバイワールドカップにアグネスデジタルとトゥザヴィクトリーが出走、6着と11着。
クイーンエリザベス2世カップにエイシンプレストンとアグネスデジタルが出走、1着と2着で日本馬のワンツーフィニッシュ。
エアトゥーレがモーリス・ド・ゲスト賞、スプリントカップに出走。それぞれ2着と11着。
凱旋門賞にマンハッタンカフェが出走、13着。
香港スプリントにショウナンカンプとビリーヴが出走、10着と12着。香港マイルにトウカイポイントとアドマイヤコジーンが出走、3着と4着。香港カップにエイシンプレストンが出走、5着。
【2003年】
クイーンエリザベス2世カップにエイシンプレストンが出走、1着。
ジャック・ル・マロワ賞にテレグノシスとローエングリンが出走、3着と10着。ムーラン・ド・ロンシャン賞にローエングリンとテレグノシスが出走、2着と13着。
香港カップにエイシンプレストンとマグナーテンが出走、7着と13着。香港マイルにローエングリン、アドマイヤマックス、テレグノシスが出走、3着4着7着。
【2004年】
ドバイゴールデンシャヒーンにマイネルセレクトが出走、5着。ドバイワールドカップにアドマイヤドン、リージェントブラフ、サイレントディールが出走、8着9着12着。
アメリカンオークスステークスにダンスインザムードが出走、2着。モーリス・ド・ゲスト賞にシーキングザダイヤとドルバコが出走、15着と18着。ジュライカップにシーキングザダイヤが出走、12着。
凱旋門賞にタップダンスシチーが出走、17着。ブリーダーズカップ・クラシックにパーソナルラッシュが出走、6着。
香港カップにダンスインザムードが出走、13着。香港マイルにデュランダルとテレグノシスが出走、5着と14着。香港スプリントにサニングデールとカルストンライトオが出走、7着と14着。