JRA 日本ダービー(G1)マルゼンスキーが干された「謎」に迫る……8戦8勝「合計61馬身差」で引退した悲運の怪物
朝日杯で2着したヒシスピードの小島太騎手が「ありゃバケモンだ」と語ったこともあって、当時マルゼンスキーは規格外の怪物として、その名が知れ渡った。
だが、その一方で当時の日本競馬にはクラシックを含め、天皇賞などの大レースに外国産馬、そして持込馬を出走させないなど内国産の血、そして生産者を守る方針があった。
その結果、裁判沙汰さえ考慮された陣営の懇願も空しく、ダービー出走が叶わなかったマルゼンスキーは“腹いせ”に残念ダービーと言われる日本短波賞(現・ラジオNIKKEI賞)に出走。
このレースには、ダービートライアルだったNHK杯(現・NHKマイルC)の勝ち馬であり、秋にはセントライト記念、京都新聞杯、菊花賞を連勝するプレストウコウが出走していたが、マルゼンスキーが7馬身差をつけて圧勝。スーパーカーぶりを見せつけている。
続く、札幌の短距離Sで古馬との初対決を迎えたマルゼンスキーだったが、このレースには当初、現役最強「天馬」トウショウボーイも出走予定だった。しかし、マルゼンスキーが出走を表明した後に回避したため、当時は「逃げた」とも囁かれていた(実際には体調不良などが重なった)。
このレースを勝ち、デビューから8戦8勝としたマルゼンスキー。今後は、マル外(持込馬)が出走できるビッグレース有馬記念を視野に、日本記録となる12連勝の更新、翌年からの海外遠征なども計画されていたが屈腱炎を発症。紆余曲折の末、無念の引退となった。
通算8戦8勝、2着につけた差が合計61馬身という、まさに規格外の怪物だったマルゼンスキー。圧倒的な力を持っていたことは間違いないが、時代に泣いた名馬だった。
(文=大村克之)
<著者プロフィール>
稀代の逃亡者サイレンススズカに感銘を受け、競馬の世界にのめり込む。武豊騎手の逃げ馬がいれば、人気度外視で馬券購入。好きな馬は当然キタサンブラック、エイシンヒカリ、渋いところでトウケイヘイロー。週末36レース参加の皆勤賞を続けてきたが、最近は「ウマ娘」に入れ込んで失速気味の編集部所属ライター。