JRA名門・藤沢和雄厩舎を支えた名手たち! 岡部幸雄がトップの「重賞35勝」、武豊は6位の5勝、 最強はC.ルメールではなく「脱税疑惑」の世界的名手
先月の28日をもって引退した関東の名伯楽・藤沢和雄調教師。現役最後の出走となった中山記念(G2)では、レッドサイオン(9着)、コントラチェック(10着)、ゴーフォザサミット(15着)の3頭を送り出した。
「長い間、調教師生活を続けさせてもらい、とても感謝しています。わがままも言わせてもらいましたが、多くの良い馬を預けてもらうことができ幸せでした。コロナ禍にもかかわらず最後まで応援していただき、ありがとうございました。これからも競馬を見ていきたいと思います」(JRA発表)
助手時代を含めると45年弱の間、中央競馬に多大な貢献をしてきた藤沢和師は、ファンや関係者に感謝の言葉を残した。
今月1日には早速JRAから藤沢和雄・元調教師と「アドバイザリー契約」を締結したと発表され、その内容は「今後も中央競馬の安全かつ円滑な施行をはじめ競馬の健全な発展に資するため、JRAの求めに応じて、藤沢氏からフリーな立場で幅広く意見や助言を受けることを目的」と説明している。
これからも外から競馬界の発展に携わる藤沢氏だが、調教助手として野平祐二厩舎に所属していた当時、七冠馬シンボリルドルフとその主戦を務めた岡部幸雄騎手との出会いが、厩舎開業後の躍進に繋がったことでも有名だ。
そこで改めて、現役時代にタッグを組んだ主な騎手の「重賞成績」について振り返ってみたい。※1988年の厩舎開業から2022年2月までが対象。
■好成績を残した藤沢×岡部のタッグ
1位はやはり岡部騎手。シンコウラブリイやバブルガムフェロー、タイキシャトルにシンボリクリスエスなど、厩舎の看板馬の主戦を任されただけあって、積み重ねた35勝は藤沢和厩舎の全126勝の3割近くを占める圧倒的な数字である。
これに続いて2位以下はC.ルメール騎手が25勝、横山典弘騎手の14勝、O.ペリエ騎手の12勝、北村宏司騎手の10勝となり、武豊騎手は5勝で6位だった。
次に条件をG1限定に変更してみると、少々面白い結果となった。
■G1で最強の座に輝いたのは
こちらの1位がルメール騎手になるのは、ある程度予想が出来た。レイデオロで制した2017年の日本ダービー(G1)は、ルメール騎手と藤沢氏にとって共にダービージョッキーとダービートレーナーの称号を手にする嬉しい勝利。その後も両者の蜜月関係は続き、タワーオブロンドンやグランアレグリアとのコンビでも短距離界を席巻した。
G1限定の場合、重賞全体の1位と2位が入れ替わり、横山典騎手を抜いて3位に浮上するペリエ騎手の成績は、他騎手の追随を許さないほど突出している。
勝利数こそルメール騎手の10勝(勝率29.4%)、岡部騎手の8勝(勝率13.3%)に次ぐ7勝だが、この世界的名手の勝率は、なんと「43.8%」という突出した数字である。
厩舎の主戦である岡部騎手や横山典騎手でデビューしたシンボリクリスエスやゼンノロブロイですら、前者の9馬身差レコード勝ちで引退の有馬記念(G1)や、後者の秋古馬三冠はペリエ騎手とのコンビで達成したものだった。
藤沢和厩舎の馬以外でも、ジャングルポケットが当時の現役最強馬テイエムオペラオーを破る大金星を挙げた2001年のジャパンC(G1)、日本馬が最も凱旋門賞制覇に近づいた2012年(オルフェーヴル=2着)でも、勝ち馬の背中にはこの外国人騎手の姿があった。
こういった背景を踏まえると、藤沢和厩舎における最強騎手はルメール騎手でも岡部騎手でもなく、ペリエ騎手だったといえるのではないだろうか。他の騎手とは異なり、短期免許という限定された期間での通算成績と考慮すれば「驚異的」と述べる他ない。
そんな最強外国人騎手も、短期免許で来日して稼いだ賞金にかかる税金の支払いでトラブルを起こした影響もあってか、2009年を最後に短期免許で来日することはなくなってしまった。
当時の“脱税疑惑”がスッキリ解決されていたなら、もしかしたらペリエ騎手がJRA所属の外国人騎手の一人目となっていたかもしれない。
(文=高城陽)
<著者プロフィール>
大手新聞社勤務を経て、競馬雑誌に寄稿するなどフリーで活動。縁あって編集部所属のライターに。週末だけを楽しみに生きている競馬優先主義。好きな馬は1992年の二冠馬ミホノブルボン。馬券は単複派で人気薄の逃げ馬から穴馬券を狙うのが好き。脚を余して負けるよりは直線で「そのまま!」と叫びたい。