アドマイヤ軍団が「G1・45連敗」武豊と絶縁し「40億円」と引換えに日本競馬界フィクサーの”逆鱗”に触れた凋落の真相?
きっかけは2007年の春。皐月賞(G1)を1番人気で迎えた武豊騎手鞍上のアドマイヤオーラだったが、いつもより後方からレースを進めた結果4着に惨敗。そのわずか14日後、今度はクイーンエリザベス2世C(G1)のために香港に遠征していたアドマイヤムーンが3着に敗退したところで、近藤氏が主戦の武豊騎手を批判。両者に深い溝が生まれたといわれている。
その数年後、武豊騎手は長いスランプに入るが、同時にアドマイヤ軍団も大きく失速。武豊騎手はすでに完全復活といえるほど、かつての輝きを取り戻しつつあるが、アドマイヤ軍団は未だトンネルの中。両者の明暗はくっきりと分かれている。
これに対して「武豊騎手の呪い」であるとか「競馬界の顔を敵回すとこうなる」などとまことしやかに囁かれているが、実際のところはやや違うようだ。
「武豊騎手が競馬の第一人者なのは確かですが、1騎手に馬主をどうこうする力なんてありませんよ。それに武豊騎手のスランプは、その後の落馬事故が原因です。アドマイヤ軍団が大きなレースで勝てなくなったのは、競馬界で『逆らってはいけないもの』に逆らってしまったからというのが、もっぱらのウワサですね」(競馬記者)
「あくまでウワサですが」と前置きしながらも記者が言うには、アドマイヤ軍団が”凋落”するきっかけとなったのは、やはり2007年の春。だが、アドマイヤオーラの皐月賞ではなく、その1か月前のアドマイヤムーンがドバイデューティーフリー(G1、現ドバイターフ)を見事勝利し、武豊騎手が近藤氏に初の海外G1制覇をプレゼントした際だったという。
このアドマイヤムーンは、その年の夏にドバイの世界的馬主グループ・ゴドルフィンからのオファーで40億円という莫大な金額で買い取られている。実は、その発端となったのがドバイデューティーフリーの勝利だったようだ。
実際に、前年に同じドバイのゴドルフィンマイル(G2)を勝利した日本馬ユートピアは、同年5月にゴドルフィンが約4億円で買い取っている。それだけに、アドマイヤムーンに”唾が付いた”のも、ドバイでの勝利がきっかけとなったと考えるのが自然だ。
ただその時、主戦の武豊騎手はオファーに反対していたようだ。しかし、その後アドマイヤオーラの皐月賞があり、両者の関係決裂の決め手となった香港での敗戦は、まさにアドマイヤムーンの移籍金を大きく左右しかねない重要なレースだったため、近藤氏が激怒したといわれている。
幸い、アドマイヤムーンはその後に岩田康誠騎手に乗り替わって宝塚記念(G1)を勝利。最終的に40億円という日本競馬界にオイルマネーの凄まじさを見せつけるビッグマネーで、ゴドルフィンの所有馬となっている。