【ケンタッキーダービー出走特別連載】託された思いと飽くなき挑戦。4人のホースマンの夢を繋いだ日本ダービー馬「絆(キズナ)」の物語<1>


 キズナの出会いは意外な形で始まり、非業な運命によって結ばれた

「ノースヒルズ始まって以来の逸材」と称されたキズナが、デビュー戦を迎えた2012年の10月7日。武は前田が所有するトレイルブレイザーの海外遠征に同乗し、アメリカのサンタアニタパーク競馬場にいた。

 そこで食事をしていた時、たまたま日本に連絡を取ったノースヒルズの関係者がキズナのデビュー勝ちの話を聞き、武も乾杯してお祝いしたのだ。

 武とキズナの関係は、このような何気ない出会いから始まった。

 キズナの鞍上にはお手馬の育成に定評のあり、調教師の佐々木晶三から絶大な信頼を得ている佐藤哲三がいた。しかし、武とキズナ、両者の運命が大きく近づいたのは、キズナがデビューから2連勝を飾り「クラシック候補」といわれるようになって間もなくだった。

 キズナの主戦だった佐藤が落馬事故によって重傷を負い、キズナの鞍上が空白となったのだ。

 前田は迷わず親交のある武の名を挙げた。しかし、当時の武は2010年の落馬負傷などの影響で全盛期とは程遠い状況……この2012年はデビュー以来最低の56勝しかできず、引退説まで囁かれていた。

 だが、武はキズナの父ディープインパクトだけでなく、姉でG1を3勝したファレノプシスの主戦であり、キズナの血筋の特徴を最も把握している人間だ。さらに武の目先の結果に捉われず、目標となる大レースを勝つために馬に競馬を教え込んでいくスタイルは、落馬負傷により無念のリタイアとなった佐藤に共通するものがあった。

 前田には「日本競馬の発展は日本のホースマンの成長と活躍があってこそ」という強い信念があり「競馬といえば武」と、これまでも低迷していた武を支え続けていた。

 そして、武も「前田代表には言葉では表せないほど、ずっと応援してもらっている。こういう人の馬で勝ちたい」と述べ、二人の絆には確固たるものがあった。

 こういった経緯の下、キズナの手綱は日本のホースマンの代表となる武に託された。

 佐藤哲三から武豊へ託された”思い”と”至宝”。そして”誓い”――

 キズナの鞍上を任されてすぐ、武豊は負傷した佐藤哲三の病室を訪れた。同じ関西所属の騎手であり、年齢も一つ違い。お互いに競艇や競輪など、競馬に関係のない話ができる数少ない友人だった。

 生死にも関わるような悲惨な落馬事故で、最初の手術は12時間に及んだ。佐藤は騎手として復帰どころか、普通の健康状態を取り戻せるかすらわからない状況だった。しかし、それ以上にキズナという圧倒的な素質を持った至宝のような馬と出会いながら、怪我で乗れない無念は、同じ騎手である武も深く理解していた。

 それでも佐藤は、キズナの鞍上を引き継いでくれたのが「ユタカさんで本当によかった」と話し、武はそんな盟友にキズナでの日本ダービー(G1)制覇を誓ったという。

 佐藤の思いを受け取った武とキズナだったが、重賞初挑戦となったラジオNIKKEI杯2歳S(G3)で生涯初の敗北を喫してしまう。超が付くほどのスローペースを先行したが、本来の末脚を発揮できなったキズナは2歳シーズンを終えた。

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