武豊騎手は実は「代打」だった!? 「自殺」に「墓穴」最強キタサンブラック栄光の裏にドロドロの主戦騎手問題
先日の天皇賞・春(G1)で、ディープインパクトが記録した世界レコードを0.9秒も更新する驚愕の走りを見せたキタサンブラック。世紀の対決と言われたサトノダイヤモンドとの一騎打ちを制したことで、名実ともに日本最強馬に君臨した。
すでに歴代世界一の賞金王や、前人未到のJRA「芝G1競走8勝」の大記録なども視野に入っているスーパーホース。これだけの成功を収められた背景には、精密な体内時計で自在にペースをコントロールできる主戦・武豊騎手の存在は欠かすことができないものだろう。
ただ、あまり取り上げられることも少ないが、キタサンブラックが若かりし頃に主戦を務めていたのは、関東の北村宏司騎手である。
一昨年の1月、キタサンブラックのデビュー戦には、今は亡き後藤浩輝騎手が手綱を執っていた。時計面こそ地味だったものの、しっかりとデビュー戦を飾った。このまま後藤騎手とのコンビでいくのかと思いきや、その1カ月後に後藤騎手がまさかの自殺……2戦目から北村宏騎手が手綱を執ることとなった。
後藤騎手の自殺の直接的な原因は明らかにされていないものの、度重なる落馬事故が原因ではといわれている。
そこでよく取り沙汰されるのが、2度の落馬負傷の引き金となった岩田康誠騎手との関係性だ。だが、実は自殺した2月27日の6日前、後藤騎手にとって4度目、そして現役最後の落馬事故があった。その時に原因となった騎手が北村宏騎手なのだ。
無論、繰り返しになるが後藤騎手の自殺の原因がはっきりしていない以上、これらはただの事実に過ぎない。両騎手に自殺の責任があるのかはまったく定かではない。だが、キタサンブラックにとっては数奇な乗り替わりだった。
その後、キタサンブラックと北村宏騎手のコンビは3歳秋の菊花賞で初G1制覇を飾る。しかし、どうやらそのコンビも決して順風満帆ではなかったようだ。