「難しいことは承知」名伯楽の大いなる挑戦が生み出した新基準。引退後まで見据えた「信念」がロードカナロア、ドゥラメンテの父を生む【競馬クロニクル 第7回】
今週末に行われるNHKマイルC(G1、東京・芝1600m)は、今年で第28回を迎える。JRA・G1のなかでは歴史が浅いレースの一つだ。
これが現在のかたちに落ち着くまでには、少し複雑な経緯がある。
まず本レースの原型となるレース、G2のニュージーランドトロフィー4歳S(現「ニュージーランドトロフィー」、東京・芝1600m)は1983に創設され、日本ダービーの翌週に行われていた。それには当時、クラシック競走に出走できないルールとなっていた外国産馬にとっての春季の目標、またマイル戦を得意にする馬のターゲットになると同時に、収得賞金などの関係で日本ダービーへの出走がかなわなかった馬に対する救済レースのような役割も果たしていた。
1980~90年代前半のニュージーランドT4歳Sの勝ち馬には錚々たる名前が揃っている。
のちに天皇賞馬となるニッポーテイオー(86年)。クラシック競走への追加登録の制度がなかったために出走してきた“芦毛の怪物”オグリキャップ(88年)。そして、シンコウラブリイ(92年)、ヒシアマゾン(94年)という外国産馬たちが、このレースを制したのちG1ホースへの階段を駆け上がっていった(ただし1996~1999年は芝1400mで施行)。
このレースに大きな変更が出たのは95年のこと。3歳のマイル路線を整備するため、名称を「ニュージーランドT」として、4月の中山開催へと移設。同時に、長いあいだダービートライアルとして行われてきたNHK杯(G2、東京・芝2000m)の距離や開催時期を変更し、春季3歳マイル王決定戦として日本ダービーの前、5月の2週目に芝1600mのG1とし、名称もNHKマイルCと改称した。
すると同時に、この新設G1は一気に外国産馬の天下となる。
タイキフォーチュン、シーキングザパール、エルコンドルパサー、シンボリインディ、イーグルカフェと、第1回から第5回までのすべてを外国産馬が制してしまい、日本の生産者に少なからぬショックを与えたのだった。
こうして名を上げたNHKマイルCに対して、さらに一石を投じた人物がいる。9頭ものG1ホースを育て、自厩舎から角居勝彦(引退)、友道康夫、高野友和、村山明などの名トレーナーを送り出してきた元調教師の松田国英である。
師には一つの思いがあった。
「走る牡馬を預かったら、いかに種牡馬としての価値を高めて送り出せるかにこだわる」という深謀である。
世界的にスピード重視の波はいっそう大きくなり、従来のように中長距離のみ好成績を残した牡馬は、種牡馬としてあまり歓迎されなくなった。逆に、マイルから2000mぐらいまでの距離で強かった馬は種牡馬として歓迎され、成績も概して優れていた。
この傾向を踏まえ、松田は3歳牡馬の春季のG1シリーズに大胆な策を取り入れる。俗に“変則二冠”と呼ばれた、NHKマイルC→日本ダービーというローテーションである。
松田はこう説明した。
「ご存じでしょうが、英国のクラシックは2000ギニーがマイル戦、ダービーが2400mですから、無茶なことではないんです。そして、マイルを勝つスピードと、2400を勝つスタミナを併せ持つことが証明できれば、種牡馬としての価値は一気に上がります。
私は馬を管理するにあたって、常に競走生活を終えたあと、特に牡馬は種馬になってからのことも重視しています。そのため、難しいことなのは承知で、走る馬にはこの2つのタイトルを取らせたいと思っているんです」
松田の“変則二冠”制覇への挑戦は2001年のクロフネから始まった。
クロフネは3月の毎日杯快勝を経てNHKマイルCに臨んで、これに勝利。しかし、続く日本ダービーではジャングルポケットの5着に敗れて失敗に終わる。
翌2002年に擁したのは、のちにウオッカの父となるタニノギムレット。調子がいいときには積極的にレースを使う主義でもあった松田は、彼をシンザン記念(優勝)→アーリントンC(優勝)→スプリングS(優勝)と歩ませ、さらには皐月賞の3着を経てNHKマイルCへと進ませる。タニノギムレットは追い込み届かず3着に終わったが、続く日本ダービーを快勝してファンや関係者を大いに驚かせた。
そして“真打”は2004年、この難関に挑戦したキングカメハメハである。
2歳時に新馬戦、500万下(現1勝クラス)のエリカ賞を連勝した彼は、3歳は1月の京成杯(G3)から始動。これを3着とすると、すみれS(OP)、毎日杯を連勝。いよいよ“変則二冠”に臨んでいく。
単勝1番人気に推されて臨んだ“一冠目”のNHKマイルC。ここでは中団の後ろ目から爆発的な末脚を繰り出し、ほぼ同じ位置から追い出したコスモサンビームを5馬身も突き放して圧勝。第一関門を難なく突破した。
そして向かった日本ダービー。地方所属馬として初のクラシック制覇がかかるホッカイドウ競馬のコスモバルクに大きな注目が注がれるなかでも単勝1番人気に推されたキングカメハメハ。ハイペースを中団で追走し、馬場状態が悪いインコースを避けて外へコースを取ると、先行したコスモバルクをあっさりと交わして直線の半ばで先頭に立ち、最後方から追い込んだハーツクライに1馬身半の差を付けて快勝。松田の夢への挑戦を完遂させたのだった。
その後、神戸新聞杯に優勝したあとに屈腱炎を発症して引退した。そして種牡馬入りしてからは、2010年に229頭に種付けするという驚異的な記録を樹立。松田の信念を体現するように種牡馬として大成功を収めたのはご存じのとおりだ。
2019年に惜しまれながら世を去ったもののロードカナロア、ドゥラメンテ、ルーラーシップなどの後継種牡馬を通じて、その血脈はさらなる広がりを見せている。
ちなみに、この“変則二冠”を達成したのは、キングカメハメハと2008年のディープスカイの2頭のみ。選りすぐりの駿馬しか達成できない偉業である。
歴史は浅いながらも、煌びやかなスーパーホースたちの名に彩られたNHKマイルC。今年の出走馬から、のちに語り継がれるような馬が生まれることを期待している。