「走る馬だと今日立証された」福永祐一氏“自虐ネタ”に大爆笑!? タスティエーラ堀宣行調教師に「禁断の奥の手」を使わせた怪我の功名
28日、東京競馬場で行われた日本ダービー(G1)は、4番人気のタスティエーラ(牡3歳、美浦・堀宣行厩舎)が勝利。皐月賞(G1)で唯一先着を許したソールオリエンスを逆転し、7708頭の頂点に立った。
「スペシャルな勝利になりました」
1着から4着までタイム差なしという激戦を制したD.レーン騎手にとっても、感慨深い勝利となったようだ。「いつもサポートしてくれる堀厩舎の馬で勝てたのも嬉しい」と語った通り、レーン騎手×堀厩舎といえば、サリオスで挑んだ2020年のダービーでコントレイルの2着に敗れている。今回の勝利は喜びもひとしおだったに違いない。
2着に下したソールオリエンスは、わずか約1ヶ月前の皐月賞で1馬身1/4の差をつけられた相手。その差は小さくなく、ダービー当日の1.8倍と8.3倍という単勝オッズにも表れた。そこからの逆転は、決して簡単なことではなかったはずだ。
「通常は、(ノーザンファーム)しがらきです」
堀宣行調教師「禁断の奥の手」
4月の皐月賞を終えて、5月の日本ダービーへ挑むにあたり、タスティエーラを管理する堀調教師は異例の決断を下した。堀厩舎といえば、関東の厩舎であるにもかかわらず、外厩に福島県のノーザンファーム天栄ではなく、滋賀県のノーザンファームしがらきを利用していることで有名だ。
しかし、今回はレース間隔が詰まっていたこともあって、輸送の負担を考慮してタスティエーラを美浦トレセンのある茨城県から遠いしがらきではなく、近い天栄に送った。結果的には、これがダービー制覇という最高の結果に繋がったというわけだ。
「堀厩舎と天栄はもともとそりが合わず、オーナーサイドからの要望でもない限り、ノーザンファームの意向で堀厩舎はあえて関西のしがらきを利用しています。しかし、今回は皐月賞から日本ダービーまで間隔が詰まっていた上、輸送がちょうどゴールデンウィークのラッシュと重なってしまう可能性があったため、堀調教師が天栄に出すことを決断されたそうです。
堀厩舎にとっては、まさに奥の手ともいうべき異例の対応でしたが、美浦に戻ってきてからのタスティエーラの動きは皐月賞以上と感じさせるもの。結果的に、この決断が功を奏したことは間違いないでしょう」(競馬記者)
記者曰く、タスティエーラがノーザンファーム天栄に送られた理由は、ゴールデンウィーク以外にもう1つあるという。
「実はタスティエーラは当初、2月の共同通信杯(G3)から皐月賞に向かう想定でした。しかし、2番人気に推された共同通信杯で4着に敗れてしまい、賞金加算に失敗。このままでは皐月賞に出られないので、3月の弥生賞(G2)を使った経緯があります。
今回、堀調教師がより輸送の負担が小さい天栄をあえて利用したことと、タスティエーラが予定よりも1戦多く使っていたことは決して無関係ではないでしょうね」(同)
実際に先述した2020年のサリオスは、皐月賞が年明け1戦目だったこともあって、堀調教師は“通常通り”ノーザンファームしがらきを経て、日本ダービーに向かっている。今年の日本ダービーの上位3頭を比較しても、2着ソールオリエンス、3着ハーツコンチェルトは年明け3戦目。タスティエーラは4戦目だった。
「共同通信杯では福永祐一騎手(現調教師)が騎乗していましたが、レース後に本人も『できれば勝ち馬の直後につけたかった』と悔いていた通り、4着という結果はタスティエーラ陣営にとっても計算外だったと思います。
スタートはよかったのですが、馬が行きたがったため、福永騎手が手綱を引いたところズルズルとポジションが後退……。『予定よりも少し後ろの位置になってしまった』と振り返っていましたが、結果的には途中から逃げたタッチウッドが2着、2番手にいたファントムシーフが1着と完全に前残りのレース。後の成績を見ても、タスティエーラが本来の力を発揮できていなかったのは明らかと言わざるを得ないでしょう」(別の記者)
そんなタスティエーラの“元鞍上”福永氏は2月一杯で騎手を引退。ダービーがあったこの日は中継を行った『みんなのKEIBA』(フジテレビ系)にゲスト出演している。
ダービー後には「(タスティエーラの)持ち味を出した、素晴らしい騎乗だったと思います」とレーン騎手の騎乗を絶賛した福永氏。「僕が乗った時はあまり上手に乗れなかったので負けてしまったんですけど、やっぱり走る馬なんだなと今日立証されましたね」と自虐ネタで笑いを誘った。
もし、タスティエーラが共同通信杯で賞金加算に成功し、予定通り年明け3戦目で日本ダービーを迎えていれば、ノーザンファームしがらきで放牧されていたかもしれない。無論、それでも勝った可能性は十分にあるが、日本ダービーは古くから「最も運が良い馬が勝つ」と言われているレース。まさに怪我の功名といったところだろうか。