凱旋門賞はなぜ「日本の夢」であり続けるか。「名馬の墓場」と世界から侮蔑の眼差しを受けた過去を乗り越えて 〜スルーセブンシーズの孤独な挑戦〜

スルーセブンシーズ 撮影:Ruriko.I

 秋が来た。色づく木々の葉、首を垂れる稲穂。四季の移ろいと共に、競馬の世界にも「秋の勝負」がやってくる。

 秋競馬の鏑矢であるスプリンターズSが中山で催される一方、遙か海を越えたパリ・ロンシャン競馬場では、世界最高峰のレース・凱旋門賞が開催される。今年の日本馬はスルーセブンシーズの“単独出走”となり、帯同馬も見つからぬまま、孤独な挑戦を迎えた。

 古くは八大競走覇者の老雄・スピードシンボリ。名馬モンジューを追い詰めた黄金世代の傑物・エルコンドルパサー。勝利を目前に惜敗したオルフェーヴル。そして、最高傑作・ディープインパクト。指折りの名馬を束ねても叶わなかった日本競馬界の夢、凱旋門賞。

 国内馬が4頭と過去最多となった昨年は、豪雨のなかでの開催であった。果敢に先頭に躍り出るタイトルホルダー、虎視眈々と好位を保つディープボンド。雄々しくも自分らしい競馬を見せた彼らが、最終直線であえなく馬群に飲まれていった姿は記憶に新しい。その歓喜と嘆きの渦はもはや悪夢のようで、手を伸ばせば伸ばすほどに遠ざかる幻にも思えた。

凱旋門賞はなぜ「日本の夢」であり続けるか…

 なぜこのように、凱旋門賞は“呪い”の如く我々の脳裏に焼き付くのだろう。その端緒は、おそらく80年代に遡る。

 日本には、「名馬の墓場」と世界から侮蔑の眼差しを受けた過去がある。バブルマネーで世界中の名馬を買い漁り、数多のチャンピオンホースがその功績に見合わぬ最期を日本で遂げたのである。

 種牡馬として花開くべきであった彼らに相応しい環境や技術を、当時の日本は持ち合わせていなかった。多くの名馬が結果を残せぬまま小牧場に行き着き、人知れず生涯を終え、あるいは行方不明になった。

 一方で、凱旋門賞は西欧世界における最もアイコニックなレースであった。第一次世界大戦後、ヨーロッパ大陸復興のシンボルとして設立された国際競走。1949年には欧州トップの高額賞金競走となり、その格式を確固たるものとした。以来、リボーやシーバードをはじめとする歴史的名馬を輩出し、世界各地に凱旋門を模倣した3歳以上・芝2400mのG1国際競走が生まれた。

 西欧の精神的支柱たる国際レースを征することでこそ、「名馬の墓場」の汚名を返上できる……。そのようなホースマンの発想が、そして幾度もの惜敗が、いつしか凱旋門賞を「日本の夢」に変えた。

 さて、本年度の出走馬を見ると、今年も粒揃いの激戦である。フランスギャロは公式サイト9月5日付の記事において、有力馬の名前をいくつかピックアップしている。

 G1初挑戦でシャンティイのコースレコードを叩き出した無敗の仏ダービー馬・エースインパクト。コロネーションCとキングジョージ6世&QESを制覇、今まさに全盛期を迎える古馬・フクム。パリ大賞でパリ・ロンシャンの2400mに素晴らしい適性を示したフィードザフレイム。

 選りすぐられた文句なしの強豪を前に、無垢な期待を抱くことを躊躇する者もいるだろう。しかしながら、スルーセブンシーズの名も、これら強豪に並んでしっかりと記されている。「2023年に限りない成長を見せた」、「宝塚記念では強敵相手にキャリアベストの結果を残した」。ワールドベストレースホースレート首位に君臨するイクイノックスをクビ差に追い詰めたその実力を、世界は軽視していない。

 日本の血統が欧州を席巻する今、もはや「名馬の墓場」の汚名は、過去のものとなりつつある。ディープ産駒の最終世代、オーギュストロダン。先の英セントレジャーを制したハーツクライ産駒、コンティニュアス。彼らの活躍が、何よりもそれを雄弁に物語っている。

 スルーセブンシーズも、紛れもなく彼らと系譜を同じくする日本競馬界の粋なのである。9月15日に現地に降り立った彼女の姿は、悠々と落ち着いた歩様で、孤独な逆境にあってなお花盛りの牝馬に特有の気品を感じさせる。

 この女傑の挑戦が、我々にとって叶わぬ夢や愚かな呪いであってはならない。凱旋門賞の出走は日本時間10月1日23時5分。ぜひ、日本から彼女の戦いを見守ろう。我々のまなざしの1つ1つが、彼女を支える力になることを祈って。行け、七つの海を越えて。

さかた

英国在住の競馬好きアラサー女医。学生時代はWINS場内スタッフのアルバイトをしながら、ウオダス世代の火花散るレースに脳を焼かれた。好きな競馬場メシは「梅屋」のモツ煮込み。鉄火場であおるビールは人生の道標。

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