武豊復活の裏側に19年前の運命の「出会い」キズナにキタサンブラック……キャリア最大の逆境に2つの「幸福」を届けた偉大な胡蝶蘭
現在、武豊の活躍をもって「武豊復活」と記すメディアはどこにもいない。栄華を極めた全盛期と比較することはできないが、それでも天才騎手はすでにかつての輝きを存分に取り戻しているからだ。
そして、その中心には今週の宝塚記念でも大本命となるキタサンブラックがいる。この偉大な現役最強馬こそが「武豊復活」の象徴と述べても過言ではないだろう。
だが、このキタサンブラックにしても最初から武豊が騎乗していたわけではない。デビュー当初から手綱を執り続けていたのは北村宏司であり、武豊は彼の負傷離脱をきっかけとしてチャンスが巡ってきたのだ。
しかし、そこでなぜ武豊の名が挙がったのか。そこにはオーナーの北島三郎の意向も然ることながら、それ以上にキタサンブラックを管理する清水久詞の後押しがあった。
実は1998年当時、浜田の下でファレノプシスの調整を担当していたのが清水”厩務員”であり、武豊との親交はファレノプシスを通じて始まっていたのだ。これももし武豊がファレノプシスと出会っていなければ生まれなかった絆なのかもしれない。ある意味で彼女は、武豊の代表馬ディープインパクトよりも重要な存在だったといえるのではないだろうか。
胡蝶蘭の花言葉は「幸福が飛んでくる」。その言葉通り、ファレノプシスは最愛のパートナーに、キズナとキタサンブラックという極めて大きな2つの幸福を届け、昨年7月1日にくも膜下出血のため他界した。
あれから間もなく1年。運命的な出会いを果たしたキタサンブラックとの宝塚記念を経て、ファレノプシスの一周忌が訪れようとしている。
(敬称略)
(文=浅井宗次郎)