【豆知識】「グレード制」にも世界と日本で微妙な違い…天皇賞の距離短縮や三冠馬ミスターシービーも登場、大きな転換となった「40年前」の大改革【競馬クロニクル 第46回】
『1984』
この数字を見て、近未来のディストピアを描いたジョージ・オーウェルのあまりにも有名な小説『1984』を想起した人も少なからずいたと思うが、実はこの『1984』年というのは、中央競馬にとって非常に大きな転換点となった年である。
まずいちばんに挙げたい変化は、重賞競走に『グレード制』を導入したことだ。
それまでは『八大競走』、つまり3歳クラシック(皐月賞、日本ダービー、菊花賞、桜花賞、オークス)に春秋の天皇賞と有馬記念を総合し、重賞のなかでも特別に格が高い(もちろん賞金も高い)ものを俗称としてそう呼んでいただけで、主催者のJRAが定めた事柄ではなかった。
たとえば1964年、戦後初にして中央競馬史上2頭目のクラシック三冠馬となった名馬シンザンは、天皇賞、有馬記念にも勝って『五冠馬』という称号が捧げられた。そして、日本の近現代競馬に携わる人たちにとり、ひとつの大きな目標として、『シンザンを超えろ』というコピーが掲げられた。
その後、1981年に初の国際招待競走となるジャパンCの創設など、世界を意識した施策を強化するなかで、その一環として世界標準に近付けるものとして、1984年に重賞のグレード制、つまりG1~G3に仕分けする格付けを導入した。その際、G1に格付けされたのは、クラシック5競走、春秋の天皇賞、有馬記念に加え、ジャパンC、宝塚記念、安田記念、エリザベス女王杯など、計15競走だった。
ちなみにJRAでは格付けにGⅠ、GⅡ、GⅢとローマ数字を使って表記されるが、国際的にはG1、G2、G3というアラビア数字を用いた表記がなされている。それにはひとつの理由があり、日本では『グレード制』と呼ぶが、世界標準では『グループ制』とでも言うべき考え方によって格付けしていることだ。
両者で使われている『G』は、日本では「グレード」、たとえば日本ダービーを「ジーワン」と呼ぶが、世界標準では「グループ」、例示するなら凱旋門賞は「グループワン」と読む。
つまり、日本では「このレースはこういう『グレード』のレースです」という意味合いによって『G』が使われているが、一方、世界標準では「このレースはこういう格の『グループ』に属しています」という意味で使われる。断定はできないが、こうした考え方の違いによって数字の表記も違っていると推察できる。
ちなみに、世界的なグループの仕分けは『国際セリ名簿基準委員会』(International Cataloguing Standards Committee)によって行われており、基本的に自国以外からのレース出走を認めていること、いわゆる「開放」されていないと、この委員会による評価が得られない。日本競馬に関しては1984年の時点では外国調教馬の出走を認めていたのはジャパンCのみだったため、日本のみで通用する「ローカルグレード」とされていた。
その後、段階的に外国調教馬に「開放」するレースを増加させていった日本は、2007年になって国際セリ名簿基準委員会によって国際標準に適うことが認められ、「ローカルグレード」から脱して、世界的な格付けに加わることができた。これにより、国際的な血統の公式カタログに、重賞とリステッド競走の勝ち馬は「クラックタイプ」と呼ばれる太ゴシック体、2~3着馬はゴシック体で印字され、セリに出される馬の血統的な評価の重要な要素とされるようになった。
さて、1984年に起こったもうひとつの大きな変革は、天皇賞・秋が従来の3200mから2000mへと短縮されたことだ。
それまでは春(京都)、秋(東京)とも3200mで行われていたが、世界的に距離の短縮やスピード化の傾向が進んでいた。そのなかで、古馬の頂点として位置づけられる天皇賞がステイヤー向きの長距離戦なのは如何かという論議がなされ、秋の東京を中距離の2000m戦として、そうした潮流に対応しようとした施策がこの距離短縮だった。
これはJRAの英断で、短距離路線、マイル路線(マイルCSも本年に新設)、中距離路線、長距離路線と、距離適性に応じたレース選択が可能になり、それぞれのカテゴリーで多様な血統を持つ馬が活躍するようになった。
2000mに距離が短縮された1984年の勝ち馬は前年のクラシック三冠馬、ミスターシービーだった。東京競馬場の大型ディスプレイ「ターフビジョン」は本年の9月から運用されはじめたばかりで、馬群の後方からミスターシービーが得意の追い込みに入ったシーンがビジョンに映し出された瞬間、スタンドを埋め尽くしたファンから大きなどよめきや声援が湧き起こったことは語り草となっている。
これら二つの大きな変革に加え、シンボリルドルフが史上はじめて無敗の三冠馬に輝き、カツラギエースが日本馬初のジャパンC制覇を遂げるなど、エポックメイキングと呼ぶにふさわしいのが今からちょうど40年前、1984年だった。