「現役屈指の鬼才」横山典弘が経験した若き日の苦悩…武豊メジロマックイーンを倒した宝塚記念、「今日の自分があるのはライアンのおかげ」と述懐【競馬クロニクル 第61回】

競馬クロニクル 第61回

 今年の日本ダービー(G1)をダノンデサイルで制し、同レースの、またJRA重賞勝利騎手の最年長記録を更新(56歳3カ月4日)した横山典弘。いまなお“ここ一番”での勝負強さを発揮し続ける大ベテランにして、現役屈指の鬼才である彼にも、苦悩に身をよじるような若き日があった。

 横山は、中山大障害と天皇賞を制するなど、平地と障害の“二刀流”で活躍した名ジョッキーである父・富雄の次男として生を受ける。横山一族は関係者がたくさんいるファミリーで、幼少期から馬に、競馬に親しみながら育った。そして1986年には、第2期生として入学したJRA競馬学校騎手課程を卒業(同期生は松永幹夫、熊沢重文など)し、騎手試験に合格して同年3月にデビューを果たす。初年度は8勝にとどまったものの、翌87年には31勝(うち障害1勝)とジャンプアップ。名騎手を父に持つ逸材として、また奔放な振る舞いや度胸の良さによって大きな注目を集めるようになった。

名手・横山典弘騎手の忘れられないパートナー

 そうした上げ潮ムードのなかで出会ったのが、盟友とも言えるメジロライアンだった。

 父の富雄が現役だった時代、69年の天皇賞・秋を制するメジロタイヨウの手綱を任されたのをきっかけにして、のちに彼は“メジロ”の主戦騎手という扱いを受けるようになる。71年にはメジロムサシで天皇賞・春と宝塚記念に優勝して、当時のオーナーであったメジロ牧場の創業者・北野豊吉と、その妻で、のちに“メジロのおばあちゃん”として広く知られるようになる北野ミヤにも大いに認められていた。

 “メジロ”の主戦騎手の息子である典弘は幼いころからミヤに可愛がられ、父に連れられて新年の挨拶に行った際には、お年玉をもらうような間柄だったという。

 メジロライアンは89年7月に函館でデビューするが、ここでの2戦は2、6着に終わり、いったん休養に入る。そして10月の復帰戦から横山典弘に手綱を託され、その2戦目(通算4戦目)で初勝利を挙げる。その後、400万下(現1勝クラス)特別の1戦を経て(安田富男騎乗で5着)、横山に手が戻った同条件のひいらぎ賞(中山・芝1600m)を豪快な追い込みで制して2歳シーズンを締め括った。

 3歳初戦に選んだのは、稍重になったオープンのジュニアC(OP、中山・芝2000m)。ここでメジロライアンは、圧倒的1番人気のプリミエールをアタマ差で差し切って優勝。着々と評価を高めていくなか、不良馬場となった弥生賞(G2、中山・芝2000m)に出走する。朝日杯3歳S(G1、現・朝日杯フューチュリティS)の覇者アイネスフウジンがオッズ1.9倍の1番人気に推された本レース。後方から進んだメジロライアンは第3コーナーからじわじわと先団へ進出。直線では逃げたアイネスフウジンを交わして内からホワイトストーンが抜け出すが、そこへ馬群を割るようにして突き抜けると、追い込むツルマルミマタオーを半馬身抑えて快勝。重賞初出走で初優勝というポテンシャルの高さを発揮して一気にファンの注目を集める。同時に、彼の手綱をとるデビュー5年目の若武者をクラシック戦線へと導くことになった。

 皐月賞(G1、中山・芝2000m)は、アイネスフウジンが4.1倍で1番人気に推されると、メジロライアンが5.0倍で2番人気、未勝利戦からきさらぎ賞(G3、阪神・芝2000m)まで5連勝中のハクタイセイが5.6倍で3番人気と、レースは“三強”の構図となった。

 よれた馬に体をぶつけられてスタートで後手を踏んだアイネスフウジンが2番手を進み、第4コーナーで先頭に立って直線へ。しぶとい粘り腰で逃げ込みをはかったが、そこへ外から強襲したのがハクタイセイだった。豪快な末脚を繰り出し、アイネスフウジンをクビ差交わして優勝。後方からレースを進めたメジロライアンもよく伸びたが、優勝争いには加われず、アイネスフウジンから1馬身3/4差の3着に終わった。

 19万6517人という、今なお破られない驚異的なレコードとなった入場者を飲み込んだ東京競馬場で行われた日本ダービー(東京・芝2400m)では1番人気に推され、逃げるアイネスフウジンを後方から懸命に追ったが、メジロライアンは1馬身1/4差の2着まで差を詰めるのが精一杯だった。

 秋には、始動戦の京都新聞杯(G2、京都・芝2200m)を制し、最後の一冠となる菊花賞(G1、京都・芝3000m)に1番人気で臨むが、抽選を経て出走に漕ぎ付けた“同窓”のメジロマックイーン(生産は吉田堅)、ホワイトストーンに次ぐ3着に敗れ、またも戴冠を逸した。

 続く有馬記念(G1、中山・芝2500m)は、ライアンにタイトルを取らせたいというオーナーサイドの意向によってメジロマックイーンは出走を回避したが、レースはラストランとなるオグリキャップの大駆けにあう。17万人を超える観衆から沸き起こった“オグリ・コール”はもちろんだが、フジテレビで解説を務めた評論家で、かねてからメジロライアンを高く評価していた大川慶次郎がゴール前で発した「ライアン!ライアン!」という声援が音声に拾われたことも、30年以上が経った現在まで語り継がれている。

 ちなみに、ファンの「初G1はライアンで」という望みを他所に、横山は菊花賞の1週後に行われたエリザベス女王杯(G1、京都・芝2400m当時)を8番人気のキョウエイタップで制し、思わぬかたちで初のG1タイトルを手にしていた。インから抜け出して勝利を確定的にすると、ゴールの数十メートル前に腰を浮かせて右手を突き上げたため制裁を受ける羽目になったのは、いかにも奔放な振る舞いで知られた横山らしい。

 凡走はしないが、勝ち切れない。有馬記念のあとだっただろうか。「善戦マン」「ジリ脚」……メジロライアンには有り難くない呼び名が囁かれるようになっていた。

 4歳になった1991年の春もメジロライアンの“持ち味”は変わらなかった。いい意味でも、悪い意味でも、である。

 ダントツの1番人気に推された中山記念(G2、中山・芝1800m)は牝馬のユキノサンライズに逃げ切りを許して2着。続く天皇賞・春(G1、京都・芝3200m)では、勝ったメジロマックイーンに0秒5の差を付けられて4着に敗れた。

 ライアンは“善戦マン”のまま終わってしまうのか。ファンにいささかの諦めムードが漂うなかで迎えたのが、阪神競馬場の改築工事によって京都開催となった宝塚記念(G1、芝2200m)である。

善戦マンが手に入れた生涯ただ1つの栄冠

 1番人気はオッズ1.4倍のメジロマックイーン。メジロライアンは2番人気に推されたものの、オッズは4.1倍と差を付けられた。

 しかし、この日のライアンは違った。

 1番枠からスタートするとインの6番手付近を進み、10番枠から出たメジロマックイーンを斜め前に見ながら第1コーナーへ入ると、やや行きたがる素振りを見せるライアンを上手くなだめながら3番手まで押し上げる。そして第3コーナーの手前から“馬なり”で位置を押し上げると、外を回って追走するマックイーンを他所に、直線の入り口で先頭に躍り出る。

 そこからは全力でゴールを目指すだけだ。横山のムチに叱咤されながら頑張るライアン。マックイーンも直線半ばでようやくエンジンがかかり、ホワイトストーンを交わして2番手に上がる。しかしライアンは自ら手前を替えると“二の脚”を使ってマックイーンを突き放し、1馬身半差を付けて先頭でゴール。出走6度目にして、とうとうG1タイトルを手にした。2度敗れているマックイーンがいるだけに、最後まで気を抜けなかった横山は、ゴール後にファンへ向けて2度、3度と左手を突き上げた。

「今日は馬が行く気になっていたんで、そこでケンカしてもしょうがない、いつもどおり馬と仲良くレースをして、と思って(乗りました)。ずっと(ライアンは)『強い、強い』って言いながら、クラシックは一つも勝てず、ことしの天皇賞も勝てずにここまで来ていたので、G1を一つ勝てて良かったです」

 勝利騎手インタビューで横山はそう語り、今回のレースが自らの戦術変更ではないことを明かした。つまり、念願のG1タイトル奪取は、メジロライアンが“その気になった”ことがもたらした栄冠だとしたのである。当時の筆者は、鬼才の鬼才たる所以を聞いたような気がしたのを覚えている。

 ひと皮剥けたメジロライアンに寄せられる期待は大きかったが、その後は脚部不安に悩まされ、92年の日経賞(G2、中山・芝2500m)を制したものの、屈腱炎を発症したため現役を引退。種牡馬入りしたあとは、天皇賞馬メジロブライト、牝馬二冠を制したメジロドーベルを出す活躍を見せた。2016年、メジロライアンが29歳で大往生を遂げた際には、横山の出資による墓が、レイクヴィラファーム(元・メジロ牧場)に建てられた。

 のちに横山は、「ライアンは自分を成長させてくれた。クラシックを勝てなかったのは、ライアンに『お前にはまだ早い』と言われていたように感じる。今日の自分があるのはライアンのおかげだと思っています」と語っている。ライアンはもちろんのこと、負けても負けても乗せ続けたオーナーの北野ミヤ、伯父にあたり調教師の奥平真治らの我慢もまた、横山典弘という“ギフテッド”ジョッキーを育てたのだと筆者は思っている。そして、その大きなターニングポイントになったのが、1991年の宝塚記念だった、と。
(文中敬称略)

三好達彦

1962年生まれ。ライター&編集者。旅行誌、婦人誌の編集部を経たのち、競馬好きが高じてJRA発行の競馬総合月刊誌『優駿』の編集スタッフに加わり、約20年間携わった。偏愛した馬はオグリキャップ、ホクトヘリオス、テイエムオペラオー。サッカー観戦も趣味で、FC東京のファンでもある。

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