JRAきっての「ドS貴公子」川田将雅騎手のメンタルが心配……悪質な”肘打ち”に耐え、フォワ賞敗戦で”濡れ衣”を着せられた「忠犬」は今、何を思う
藤岡騎手に今後のビジョンを問われた川田騎手は、おもむろに「本来なら、この数年で1番を獲れると思っていた」とコメント。確かに2013年にはリーディング2位を記録するなど、最多勝の座は手を伸ばせば届くところに迫っていた。
藤岡騎手が「予定では、現時点で川田騎の時代が到来しているはずだった?」と質問すると、川田騎手は「その予定だった。でも現実的にはそうじゃない」と悔しさを滲ませた。藤岡騎手の言葉を借りるなら、”クロフネ来航”があったからだ。
クロフネ来航……それは即ち、2015年にC.ルメール騎手とM.デムーロ騎手の2人がJRA騎手になったことを示している。
すでに世界的な実績だけでなく、日本の競馬関係者からの信頼も絶大な名手の移籍だけに、虎視眈々と天下獲りを狙っていた川田騎手にとっては「目の上のたん瘤」でしかなかったというわけだ。今では騎乗依頼を斡旋するエージェントまでデムーロ騎手と同じになり、”2番手騎手”として完全に虐げられている状況だ。余談だが、今年に至ってはレース中に「どけ」と言わんばかりに肘打ちまで食らった。
無論、それは川田騎手だけではない。世界的名手の参戦により、日本競馬のレベルアップが図られた一方、JRAに所属する数多くの日本人騎手が打撃を受けたことは述べるまでもないだろう。
そんな川田騎手だったが、その対談のわずか2か月後、騎手として最高の名誉を獲得する。マカヒキとのコンビで、ルメール騎手の騎乗するサトノダイヤモンドをハナ差で退けて日本ダービーを制し、悲願のダービージョッキーの仲間入りを果たしたのだ。
しかし、その喜びもつかの間、今度は天国から地獄に突き落とされるような悪夢が訪れる。
マカヒキの凱旋門賞が決定し「海外経験が乏しい」という理由で乗り替わりを余儀なくされたのだ。しかも、鞍上はかつてマカヒキを捨て、サトノダイヤモンドを選んだルメール騎手だった。それ以降、ダービー馬が自身に手に戻ってきたことは未だにない。
ただ今年になって、川田騎手に凱旋門賞で騎乗するチャンスが回ってきた。しかし、それは皮肉にも、サトノダイヤモンドのアシストに徹するという”汚れ役”だった。ことの経緯を鑑みても、思うところがないはずがなかったが、川田騎手は快く了承。トップ騎手がアシスト役のためだけに遠征するのは異例のことだが、サトノノブレスと海を渡る決意を固めた。
もうマカヒキの時のような思いをしないために、少しでも海外での経験を積むために。
2012年には約1カ月フランスで騎乗し、2014年にはハープスターで凱旋門賞に参戦した川田騎手だが、主な経験はその程度。だが経験もなく、ノーチャンスに等しい”ラビット役”とはいえ、モチベーションは高かったようだ。