JRA岩田康誠騎手「地獄」スランプを語る。重賞勝ち「13」→「0」に終わった2016年を振り返るも「感覚派」の”珍回答”に呆然?
しかし、まさかそこから約4カ月間でG1どころか、重賞さえ1勝もできない大ブレーキとなった岩田騎手。いや、それだけなら、まだよかったのかもしれない。何故なら、かつての大活躍が嘘のようなスランプに陥った岩田騎手は、翌2016年を重賞を1つも勝てないまま終えてしまうことになるのだ。
「1年間で重賞を1勝もできないのは、JRAに移籍して初めてのことでした」
まさに天国から地獄への急落下だが、当時をそう振り返る岩田騎手。その直接的な原因に対しては「わからない」とした上で「ただ、そういう流れだったのかな、としか……」と語っている。
ここで岩田騎手が使った「流れ」という言葉には、冒頭で触れたような騎手としての「運」や巡り合わせという意味だろう。だが、今から振り返ると、決してそれだけではなかったのかもしれない。
「当時の岩田騎手は大レースで面白いように勝ちまくっていた反面、その強引な騎乗が目立っていました。ジェンティルドンナでオルフェーヴルに勝ったジャパンCの騎乗も、レース後に大きな物議をもたらし、オルフェーヴルの池添謙一騎手が降着にならなかった岩田騎手に対して『この判定は納得できない』と抗議したのは有名な話です。
また、スランプ直前の2015年にヌーヴォレコルトで中山記念を勝っていますが、強引なイン強襲の競馬でJRAから戒告を受けて罰金15万円を支払っています。ところがその年9月、ヌーヴォレコルトと挑んだオールカマーでまた同じような競馬をして戒告……。
それだけでなく、一昨年2月に自死した後藤浩輝騎手の2度にわたる落馬事故を引き起こしたのも岩田騎手。すでに周囲からは『危ない騎手』としてのイメージが定着しつつあったと思います」(競馬記者)
記者の言葉通り、岩田騎手本人は気付いていなかったのかもしれないが、勝てなくなった大レースに限らず、その他の騎乗馬の質にも微妙な変化が見られたようだ。
実際にこの年は101勝と辛うじて大台には乗せたものの、2006年の移籍以降では下から2番目の数字。さらに重賞を勝てなかった2016年はわずか68勝と、移籍後最悪の成績に終わっている。