JRAにピンポイントで「潰された」殿堂馬……「障害最強馬」オジュウチョウサンが超えるべき「最後の壁」は、強過ぎるが故の”歴史的遺恨”
また、障害馬の「伝説的な存在」として外せないのが、1963年から春秋の中山大障害を4連覇したフジノオーだ。その圧倒的な戦績も然ることながら、キャリアの晩年には欧州遠征を敢行した異色の存在。フランスで2勝しただけでなく、世界最大の障害レースとして知られる英国のグランドナショナルに唯一挑戦した日本馬でもある。
だが、このフジノオーでさえ、バローネターフと同じく殿堂入りは叶っていない。やはり平地馬と比較して、日本では何かと評価されにくい障害馬が殿堂入りすることは、ただ単に素晴らしい成績を残しただけでは難しいのかもしれない。
では、その上で障害馬史上「唯一の殿堂入り」を果たしているグランドマーチスとは、如何なる存在だったのだろうか。
中山大障害を4連覇、障害レースだけで19勝を上げた戦績も然ることながら、まずは本馬が先日の有馬記念で引退したキタサンブラックと「共通」する大記録を成し遂げた事実を挙げておきたい。
キタサンブラックといえば、今回の有馬記念の勝利によって「世紀末覇王」といわれたテイエムオペラオーの歴代最高賞金記録を塗り替えたことでも有名だ。グランドマーチスが成し遂げたことが、まさに「それ」である。
現在とは賞金体系が異なっているとはいえ、障害馬が平地馬を含めた歴代最高賞金記録を塗り替えるというのが異例中の異例だというのは、想像に難しくないだろう。当然ながら、日本の障害馬ではグランドマーチスが唯一無二の存在だ。
具体的に述べると、世に”第1次競馬ブーム”を巻き起こしたハイセイコーの記録を抜いて、史上初の3億円ホースとなったのがグランドマーチスなのだ。
その偉業の裏には、もちろん明確な「理由」がある。これは障害馬が平地馬よりも評価されなかったり、賞金王になれない原因にも起因するのだが、今も昔も競走馬がジャンパーに転向するのは平地レースで”頭打ち”になった場合がほとんどだ。