日本ダービー「平成ベスト5」発表! 武豊の「伝説」を抑えて1位を獲得したのは、やはりあの「快挙」
平成ダービー第2位 スペシャルウィーク、豊の悲願を叶えたスター
武豊騎手は前年の1996年、騎乗するダンスインザダークでダービーに出たが、あと一歩で念願の日本ダービー初制覇はならなかった。
そして武騎手は、その年にスペシャルウィークと出会う。
「武豊騎手が初めて跨った時に、この馬で日本ダービーに向かう、と意識したらしいですよ。天才は名馬を見抜くってことなんでしょうね」(競馬記者)
1997年、その想いが結果となり4戦3勝2着1回の成績で皐月賞に出るも、弥生賞で破ったライバル、セイウンスカイ、キングヘイローに1着、2着を譲ってしまう。フルゲートでコーナー4つを回るG1レースを、15番手という後方待機策で挑んだが、馬場のコンディションが悪かったことと、馬体重プラス10キロも影響があり3着に。
「このとき、その状況がわかっていながら最速上がりで追い込んでも届かないなら『追走する位置が後ろすぎたのではないか?』と武騎手はマスコミのバッシングに晒されてましたね。でも、あえて言い訳を言わないというのも武騎手らしいですが」(同記者)
そして本番のダービーを迎えた。フタを開けてみれば、武騎手のスペシャルウィークは単勝1番人気に支持されていた。武の悲願に多くのファンが賭けたのだった。絞れた馬体のスペシャルウィークは万全で、ゲートインを行なう。スタート!フルゲートの3枠5番からスペシャルウィークが飛び出すと、武騎手は”ダービーポジション”よりも後方の10番手で待機策に出る。
「このときは、自分だけでなく、まわりも「エー?」といった声が出てましたね。ファンの脳裏には皐月賞の悪夢よぎったことでしょうね」(同記者)
しかし冷静だった武騎手は3コーナーから進出していく。直線を向くと武騎手の合図にスペシャルウィークは敏感に反応し、上がり最速の脚ですべての馬を置き去りにし、2着に5馬身差の完勝。武豊騎手、悲願の日本ダービー初制覇を成就させた。やっと獲得できた喜びに体で喜びを表す武騎手が印象的だった。
「でも、不思議なのは、この日の府中は稍重の馬場。皐月賞は馬場のコンディションが悪かったことが敗因のひとつだと言っていただけに、なぜ勝てたのかと声があがっていました。『もしかしたら、皐月賞は脚を図るための”ダービーの試走”だったんじゃないか?』なんていう憶測が飛び交ってましたね。本人は否定していましたが」(同記者)
そんな噂も本当に思えてしまう武騎手。そんな彼にダービージョッキーの称号をプレゼントしたスペシャルウィーク。引退後は、種牡馬としてブエナビスタ、リーチザクラウン、ローマンレジェンド、シーザリオ、トーホウジャッカルなど多くの名馬を輩出してきたが、今年の4月27日にこの世去った。天国からダービーを眺めることだろう。