JRA宝塚記念(G1)「三大レース」を振り返る。ヒシミラクルの奇跡、グラスワンダーの衝撃……
JRAの上半期を締めくくる宝塚記念が目前に迫ったが、今年はご存知のように平成最後の宝塚記念。そこで平成で行われた過去29回の宝塚記念から、記憶に残る伝説的なレースを振り返ってみたいと思う。
強さ-グラスワンダー 1999年(平成11年)
宝塚記念で見せた強さといえば、2006年ディープインパクトの4馬身差圧勝も記憶に残るが、残念ながら13頭立てであり、ハーツクライは海外遠征、ゼンノロブロイは引退と実績馬は不在で相手のレベルに恵まれた印象も強かった。単勝は1.1倍の断然人気という状況。完全にディープインパクトのためのレースだったといっても過言ではあるまい。直線で11頭をごぼう抜きにした2012年のオルフェーヴルや、連覇を果たしたゴールドシップもかなりの強さだったといえる。しかし記憶に残る強さを見せつけた馬と言えば、何と言っても1999年(平成11年)のグラスワンダーを置いてほかにない。
この年の宝塚記念は、天皇賞(春)を快勝してきたスペシャルウィークと、有馬記念勝利後に安田記念2着とひと叩きしてきたグラスワンダーの一騎打ちムード。スペシャルウィークは単勝1.5倍、グラスワンダーは単勝2.8倍、3番人気オースミブライトは単勝15.9倍だったことからも、この2頭は抜けた存在であった。
戦前の予想は武豊の鞍上もあり、人気通りにスペシャルウィークに偏っていたが、グラスワンダーは直線でスペシャルウィークに並びかけると、ほとんど鞭を使わずあっさり突き放し3馬身差の圧勝。最後は手綱を抑えて流していたように、すべての競馬ファンに「100回走ってもグラスワンダーが勝つ」との印象を与えたほどの強さだった。平成の宝塚記念で3馬身差は4番目の着差だが、相手が絶好調だったスペシャルウィークを考えればその価値は高い。そしてレース後にまったく息が上がっていなかったグラスワンダーを見ても、その化け物ぶりが際立つレースだったと言えるだろう。
奇跡-ヒシミラクル 2003年(平成15年)
宝塚記念の季節になると思い出されるのが「ヒシミラクルおじさん」だ。宝塚記念だけでなく、天皇賞(春)に始まり単勝馬券のコロガシを連続で的中させ、宝塚記念的中時には合計約2億円の払戻を得たと言われる伝説の馬券師。しかしこの年のヒシミラクルの勝利も神がかっていたと思えるものだった。
この2003年の宝塚記念は、前年の有馬記念1着シンボリクリスエス、2着タップダンスシチー、3歳馬からは二冠馬で日本ダービー馬ネオユニヴァース、さらに安田記念優勝馬アグネスデジタル、前年の宝塚記念1着ダンツフレーム、2着ツルマルボーイという平成最高レベルの豪華メンバーが顔を揃えた。そのメンバーを相手に直線一気の末脚で有力馬を切り捨てたのが6番人気のヒシミラクル。菊花賞、天皇賞(春)に続き3つ目のG1制覇となったわけだが、いずれも人気薄での勝利と、人気と実力が噛み合わない名馬だった。そしてヒシミラクルはこのレースで燃え尽きたのか、その後は勝利することができずひっそりと引退してしまった。