あまりにも中身のない「日本vs世界」……日本最大の国際レース・ジャパンC(G1)が「消滅」する可能性は確かに存在している
ジャパンCの歴史を紐解いてみると、創設されたのは1981年。アメリカのメアジードーツという牝馬が制してから、その歴史が始まっている。上位4着までを外国馬に独占され、出走馬自体も15頭中、約半数の7頭に上った。まさしく「日本vs世界」で幕を開けたわけである。
無論、そこには主催するJRAの招致尽力もあるだろうが、結果として上位4着までの賞金を独占した海外勢はさらに勢いを増し、第2回には15頭の半数を大きく超えた10頭が参戦。
またも上位4着までを独占されたが、「世界と戦う」というジャパンCの意義は大きなものがあった。
最初に”世界の壁”を打ち破ったのが第4回のカツラギエースだった。日本競馬にとって歴史的勝利だったが、翌年もシンボリルドルフが勝利したものの、その次の年からは6年連続で外国馬が勝利。ちなみに日本の連敗を止めたのは、シンボリルドルフの息子トウカイテイオーだった。
それからしばらく、主に90年代は日本馬と海外馬が互角の争いを繰り広げる。
外国馬の勝ち馬を見てもブリーダーズCターフ(G1)の2着馬で翌年のドバイワールドカップ(G1)を勝つシングスピールや、凱旋門賞2着馬のピルサドスキーなど世界的にも超一流馬の評価を受けている名馬が連なっており「ジャパンCの価値」という点では全盛の時代といえるだろう。
だが、2000年代になって東京競馬場の改修などを経た2005年以降から昨年までの10年間は日本馬が全勝。それどころか外国馬は2005年にウィジャボードが3着入線して以来、一度も馬券圏内にさえ好走していない。