JRA重なるアーモンドアイと武豊キタサンブラックの記憶。天皇賞・秋(G1)「限界説」否定を懸け「最強の重巧者」を迎え撃つ
さらにキタサンブラックに大きな試練が降りかかる。ゲートが開く前に突進してしまい、出遅れてしまったのだ。競馬史の中でも屈指の逃げ馬の1頭に数えられる本馬にとって、1コーナーを二ケタ(11番手)で回ったのは、後にも先にもこのレースだけだった。
そんな絶体絶命の危機でも、百戦錬磨の武豊騎手は冷静だった。「こういう馬場でもこなしてくれる自信がありました」と振り返っている通り、武豊騎手はキタサンブラックがサトノクラウンに勝るとも劣らない重馬場巧者であることを悟っていたのだ。
サトノクラウンを含めたライバルたちが荒れた馬場を嫌って、やや内を空けてレースを進める中、キタサンブラックはそれこそがビクトリーロードと言わんばかりに、最内からスルスルとポジションを上げていく。最後の直線の入り口で、一度は終わったと思われた本馬が先頭に“出現”した際は、誰もが度肝を抜かれたに違いない。
しかし、負けられないのはサトノクラウンの方だ。これだけの極悪な馬場でキタサンブラックを迎え撃てるのは、後にも先にも今回だけだろう。M.デムーロ騎手の激に応え、サトノクラウンが重巧者の意地に懸けて王者に食らいつく。
武豊騎手が「早く先頭に立ちすぎた」と語った通り、残りはまだ400mある。数々の名勝負を生んできた中でも、あまりに長く、あまりに壮絶な府中の最後の直線。一度は1馬身以上離れた両者の差が、少しずつ縮まっていく。
サバイバルな展開に後続が次々と千切れ、土砂降りの中を詰めかけた5万2000人の視線が2頭の一騎打ちに注がれる。キタサンブラックか、サトノクラウンか。現役王者か、最強の重巧者か――。
「よく頑張ってくれた。馬場も他の馬と比較すると大丈夫だったし、手応えがなくなりそうだったけど、ファイトバックしてくれた。ただ、勝ち馬が止まらなかった」
レース後、サトノクラウンのデムーロ騎手はそう王者キタサンブラックを称えた。サトノクラウンはその後、馬場……いや、天候にも恵まれず惨敗を繰り返して、翌年のジャパンCを最後に引退。勝ったのは牝馬三冠を成し遂げ、堂々の世代交代を告げた若きアーモンドアイだった。
「これだけの馬に乗せてもらっていますから、本当にホッとしています」
一方、武豊騎手がそう勝利を噛みしめたキタサンブラックはこの年、さらに有馬記念(G1)を制覇。シンボリルドルフやディープインパクトと並ぶ、芝G1・7勝目を達成し、引退に花を添えている。
あの激闘から、わずか3年。今年になってキタサンブラックはJRAから顕彰馬に選定され、18日には顕彰馬選定記念特設サイトが開設。年内一杯まで公開される見込みだ。