【特別追悼寄稿】「さらば、坂路の申し子ミホノブルボン」競馬の常識を覆した「雑草魂」は25年の時を経て、天国で待つライバルの元へ
22日、「坂路の申し子」ミホノブルボンがこの世を去った。
今年の3歳牝馬クラシックが「例年になくハイレベル」といわれているが、それは昨年の2歳女王決定戦・阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)の内容が、翌週に行われた朝日杯フューチュリティステークス(G1)よりも高い評価を受けたことが根本にある。
その阪神JFで8着に敗れたものの、ハイレベルなペースを作ったのが松元茂樹厩舎のアリンナだった。
何故、こんな話をするのかというと、この馬がミホノブルボンの”DNA”を引き継いだ馬だからだ。無論、アリンナの血統表を探してもミホノブルボンの名は出てこない。この世代屈指の快速娘・アリンナを手掛けているのが、ミホノブルボンを担当した安永司調教助手なのだ。
安永調教助手も『スポーツ報知』の取材に「(逃げて)横綱相撲をするところは(ミホノブルボンに)似ているかな」と話すアリンナ。1200mの未勝利戦を逃げて3馬身半差で楽勝し、1400mの秋明菊賞(500万下)も逃げて快勝。そこでさらに200m距離を伸ばして阪神JFに挑戦したが、そこが現時点での限界だったようだ。
まだまだこれからの馬ではあるが、距離を伸ばすごとにパフォーマンスが下がったという点では「競馬の常識」に適った馬であるともいえる。
しかし、1992年の二冠馬ミホノブルボンはそういった「競馬の常識」がまったく通用しなかった傑物だった。