【特別追悼寄稿】「さらば、坂路の申し子ミホノブルボン」競馬の常識を覆した「雑草魂」は25年の時を経て、天国で待つライバルの元へ
しかし、まさに無敵の状態だったミホノブルボンが続く日本ダービーで、逆に単勝2.3倍まで評価を落としたのは、やはり距離延長が懸念されていたからだ。いわば「競馬の常識」が立ちはだかったのである。
だが、ミホノブルボンはそれをあざ笑うかのように、4馬身差で圧勝。後続にまったく影を踏ませないまま、皐月賞よりもさらに着差を広げてみせた。これで無敗の6戦6勝で2冠達成。当時の競馬ファンは、前年のトウカイテイオーでは叶わなかった熱い”期待”を胸に夏を過ごすことになる。
秋を迎え、さらに坂路で乗り込まれたミホノブルボンは、復帰戦の京都新聞杯(G2)を日本レコード(当時)で快勝。その鍛え上げられた美しい馬体は、いよいよ完成の域に達しており、この時点でミホノブルボンの3冠を疑う声は、ほぼなくなった。
無論、2400mよりもさらに600m伸びる距離を不安視する声もあった。だが、それ以上に人々が「皇帝」と称されたシンボリルドルフ以来となる無敗の三冠馬の出現を期待していたのだ。
しかし、その一方で無敵の二冠馬の背中を追い続ける”刺客”は、確実にその距離を詰めていた。日本ダービーで4馬身ちぎられながらも、京都新聞杯では1馬身半差に食い下がったライスシャワーである。
単勝1.5倍で迎えた最後の一冠・菊花賞。ミホノブルボンにとっての刺客は、ライスシャワーだけではなかった。キョウエイボーガンが玉砕覚悟でハナを奪い、ミホノブルボンの逃げを封じに掛かったのだ。
キョウエイボーガンが1000mを通過したのは前年の菊花賞よりも3秒も速い59.7秒。距離が不安視されていたミホノブルボンだけに、さすがにこの流れで動くわけにはいかなかった。
最終コーナーを前にキョウエイボーガンが力尽き、先頭に躍り出たミホノブルボン。レースはすでにサバイバルの様相を呈していたが、あと400m先頭を譲らなければ史上2頭目の無敗の三冠馬である。