C.ルメールが武豊、横山典弘らを全否定!? 「この馬のことをわかっていなかった」国民的英雄ディープインパクトを破った「伝説の有馬記念」を語る【ハーツクライ追悼】

C.ルメール騎手 撮影:Ruriko.I

「Very sad to hear the passing of my champ . It all started with him for me in Japan . Big thoughts to Teruya Yoshida and Shadai Farm staff . Legends never die . ??(私のチャンピオンの訃報を聞いて、とても悲しい。日本での私にとって、すべては彼とともに始まりました。吉田照哉さん、社台ファームのみなさま、本当におつかれさまでした。レジェンドは決して死なない)」

 10日、競走馬としてだけでなく、種牡馬としても日本の競馬を牽引したハーツクライが22歳で亡くなった。冒頭はC.ルメール騎手がTwitterで公開した追悼である。

 ハーツクライ×ルメール騎手といえば、何と言っても2005年の有馬記念(G1)だろう。当時、国民的スターだった武豊騎手とディープインパクトのコンビに初黒星をつけたのが、同コンビだった。また、この勝利はルメール騎手にとって日本での重賞初制覇。だからこそ「日本での私にとって、すべては彼とともに始まった」なのだ。

 今回はハーツクライ×ルメール騎手のエピソードとして、2020年12月に掲載された記事を再掲したい。


「ケガも騎乗停止もなく、いい一年だった」

 今年を締めくくる有馬記念開催を残し、すでに4年連続のリーディングが決まっているC.ルメール騎手が『スポーツニッポン』の取材にそう2020年を振り返った。

 残すは、すでに最多勝タイとなっている年間G1勝利記録8勝をどこまで伸ばせるか。週末のホープフルS(G1)、有馬記念を連勝すれば永久不滅級の10勝となる。

 そんな無双ぶりを遺憾なく発揮しているルメール騎手だが、実はかつて大舞台で「勝負弱い騎手」だったのをご存じだろうか。

 2002年にフランスのトップジョッキーとしてJRA初参戦を果たしたルメール騎手は、その前評判に違わず、瞬く間に日本のファンからも世界の名手として受け入れられた。しかし、その一方で肝心のG1レースでは連戦連敗……人気馬に騎乗する機会もあったが、9戦して5回も2着になるなど、大舞台で勝ち切れない印象があったのだ。

 そんなルメール騎手がイメージを一変させたのが、ルメール騎手にとってJRA・G1初制覇となった2005年の有馬記念だ。

「ハーツクライで勝った時は、ディープインパクトもいたし特別なレースになった」と今でも思い出に残るほどルメール騎手にとって“転機”となった一戦は、2017年にもJRAが企画したM.デムーロ騎手との「スペシャル対談企画」で振り返っている。

 当時、競馬界を代表するカリスマ武豊騎手とのコンビで、デビューからクラシック三冠を含む破竹の7連勝を上げ、その活躍が社会現象にもなったディープインパクト。レース当日の中山競馬場には、そんな「近代競馬の結晶」を一目見ようと16万2409人もの大観衆が詰めかけた。

 今回が古馬との初対決となるため単勝オッズこそ自己最高の1.3倍に留まったが、大多数の競馬ファンだけでなく、当時の有馬記念を特集するメディアさえも「ディープインパクトが勝つ」ことを信じて疑っていない空気が醸し出されていた。

 その一方でルメール騎手のハーツクライは、当時のルメール騎手と同じように「G1の壁」の前で、もがき続けていた。

 3歳春に京都新聞杯(G2)で重賞初勝利。続く日本ダービー(G1)では2着に好走し、秋の菊花賞(G1)では1番人気に支持されたハーツクライ。「いずれG1を勝てる」と期待された素質馬だった。

 だがその後、宝塚記念(G1)とジャパンC(G1)で2着するも、G1どころか勝利さえ上げることなく4歳秋を迎える。そんなあと一歩足りない悩める素質馬の”再建”を託されたのがルメール騎手だった。

 コンビ初戦となった秋の天皇賞、ジャパンCと共に2番人気に推されながら、勝ち切ることができなかったハーツクライとルメール騎手。特にジャパンCでは自身もレコードタイムで駆け抜けているにもかかわらず、英国のアルカセットにハナ差だけ及ばない悔しい敗戦となっていた。

 そんな中で迎えた年末の有馬記念。対談の中でルメール騎手が「有馬記念を観に来たお客さんは、みんな三冠馬ディープインパクトを応援していました」と語ったように、状況はまさにディープインパクト一色。ハーツクライは4番人気ながら単勝は17.1倍と、やはり”脇役”の域を出ない1頭だった。

 ただ、その一方でルメール騎手は意外な発言をしている。

 当時、まだ負けなしと無双状態だったディープインパクトに対して「もちろん勝てる自信はあった」と発言。逆に周囲がディープインパクト一色であったため、それで「少し不安だった」というのだ。

 その自信の根拠は、当時を知る競馬ファンなら誰もが記憶しているであろう斬新な戦略にあった。

 これまで後方から、上がり最速を記録すること7回。強烈な末脚を身上としていた”キレ者”ハーツクライが、まさかの先行策を取ったのだ。

 結果的に、これが無敗の英雄ディープインパクトに国内唯一の土をつけることになるのだが、この作戦は事前に考えられていたのかという質問に、ルメール騎手は「イエス」と答えている。

「天皇賞・秋、ジャパンCでの騎乗は間違っていた。馬のことをわかってあげられなかったんだと思います。そこで有馬記念で勝つには、好位につける競馬でいこうと考えたんです」

 そう自らの騎乗を否定してまで決意した積極策。それは同時に、安藤勝己元騎手や横山典弘騎手、そして武豊騎手など名立たる名手が築き上げたハーツクライのこれまでのキャリアをも否定する斬新な発想だった。

「スタートから出していったんですが、上手く応えてくれました。ハーツクライはストライドの大きいパワフルな馬ですが、加速するまでに時間が掛かる。その点を考慮して、好位につけ、4コーナーから仕掛けていこうと思っていました」

 如何に斬新であろうとも、競馬は結果がすべて。会心の先行策により、見事ディープインパクトの猛追を振り切ったハーツクライ。人馬共に初のG1制覇を飾り、己の正当性を証明したルメール騎手の騎乗は「天才的」と最大級の賛辞を浴びた。

「身体の内から爆発するような嬉しさでした。日本で初めてG1を勝った喜びもありました。戦略が上手くハマった気持ち良さ、色んな感情が湧いてきました」

 そして、この先行策こそがハーツクライにとって最も力を発揮できるスタイルであることを、ルメール騎手は翌年のキャリアで証明している。

 春に遠征したドバイシーマクラシック(G1)では、香港ヴァーズなどG1・3勝を上げるコリアーヒルなどの強豪に対し、最後の直線で一方的に突き放す4馬身半差の圧勝。さらに特筆すべきは、次走のキングジョージ6世&QES(G1)での激走だ。

 6頭立てとなった春の欧州最強馬決定戦で、ハーツクライは凱旋門賞馬ハリケーンランと、ドバイワールドカップ(G1)の勝ち馬エレクトロキューショニストという、当時の世界王者2頭と堂々の戦いを披露。

 激しい叩き合いの末に僅差の3着に敗れたが、その年3連勝を飾り、秋には日本を代表して凱旋門賞に出走することが決まっていたディープインパクトを差し置いて「ハーツクライこそが現役最強」と語る人も決して少なくはないほどの評価を受けていた。

 結局、ハーツクライはその後にノド鳴りの症状が発覚し、その年のジャパンCを最後に引退。引退レースではディープインパクトに借りを返された格好となったが、この2頭は現在でも日本を代表する種牡馬として、数多くの大レースで鍔迫り合いを演じている。

 最後にハーツクライに対して「日本で最初にできた恋人」と語ったルメール騎手。今年は騎手人生に残る恋人アーモンドアイで、再びコントレイル、デアリングタクトという無敗三冠馬を撃破。まさに歴史は繰り返された。

GJ 編集部

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