「これで負ければ仕方ない」歴史的勝利でJRA年度代表馬だけでなく、フランス最優秀古馬に。藤沢和雄、岡部幸雄、そしてタイキシャトルの記憶【競馬クロニクル 第11回】

 1990年代の後半に忽然と現れ、2000年代の中盤まで目覚ましい活躍を見せたレーシングチームがあった。

 文字どおり日本の競馬をリードするホースマン藤沢和雄調教師、岡部幸雄騎手の厚い信頼を得て、次々と優れた外国産馬を送り込んでいた大樹ファームである。

 米国の拠点であるタイキファームで生産された馬や、セリ市で購買した馬のなかから、欧米を飛び回って購買、調教を取り仕切っていたジェネラルマネージャーのジョン・マルドゥーンが日本に向きそうなものをピックアップ。1990年、北海道・大樹町に拓いた牧場へ“輸入”し、本格的な調教を積んでからトレーニングセンターへと送り込んだ。

 その後、マルドゥーンが目を付けた獣医師のハリー・スウィーニィを英国から招聘。彼はのちに自ら拓いたパカパカファームで2012年の日本ダービーを制するディープブリランテを送り出すなどの活躍を見せ、現在はダーレー・ジャパンの代表も務めている腕利きのホースマンである。

 欧米流のスタイルで育てられた大樹ファーム関連馬の躍進は鮮烈なものだった。

 アイルランドで生まれ、輸入後は大樹ファームで調教された牝馬が藤沢厩舎に入った。当時の欧州チャンピオンサイアーであるカーリアン(Caerleon)を父に持つシンコウラブリイである。

 当時は外国産馬がクラシック競走や天皇賞などに出走できない規定があったため、レース選択が限られる苦しさはあったが、3歳になったシンコウラブリイは目覚ましい戦果を挙げ始める。

 ニュージーランドT4歳S(当時、G2)、ラジオたんぱ賞(当時、G3)、クイーンS(G3)、富士S(OP)と4連勝を記録。続くマイルチャンピオンシップ(G1)はダイタクヘリオスを捉まえ切れず2着に敗れたが、翌1993年の安田記念(G1)をヤマニンゼファーの3着としたあと、札幌日経オープン、毎日王冠(G2)、スワンS(G2)を3連勝。前年のリベンジを果たすべく、また引退レースとして臨んだマイルチャンピオンシップでは、折からの豪雨で不良となったタフな馬場をまったく気にせずに圧勝。G1タイトルを手にターフを去った。

 外国産馬に対する制限ゆえのこととはいえ、競走生活を通じて牡馬と互角以上にわたりあった彼女の懸命な走りはファンの胸に深く刻み込まれている。

 その後、96年のNHKマイルC(G1)勝ち馬のタイキフォーチュン、97年の安田記念を制したタイキブリザードなどを輩出した“チーム・タイキ”は、ついに歴史的名馬を送り出す。

 米国のタイキファームで生産されたのち、アイルランドの牧場で育てられた栗毛の牡馬、タイキシャトルである。

 素質は高く評価されていたもの、蹄のトラブルやソエ(若駒によく見られる管骨の骨膜炎)に悩まされ、デビューは3歳の4月までずれ込んだ。デビューからの2戦は脚元の状態を考慮してダート戦を使われたが、両レースともに圧勝。そのあと芝に転じて、初戦の菖蒲S(OP)を勝ったものの、次走の菩提樹S(OP)は2着に惜敗。しかし、ここからの快進撃が米国生まれ、アイルランド育ちの希有な名馬の真骨頂だった。

 ダートのユニコーンS(G3)、芝のスワンSを制すると、G1初挑戦となったマイルチャンピオンシップを圧勝。続くスプリンターズS(G1)も制して一気に短距離路線の頂点へと駆け上がった。

 ここで藤沢は以前から抱いていた海外挑戦を決断する。目標は夏の欧州マイル王決定戦であるG1ジャックルマロワ賞である。ただし、前提はあった。「春の国内戦で満足いく戦果が残せたら」という条件だ。

 タイキシャトルは、この条件を楽に乗り越えて見せる。

 初戦の京王杯スプリングC(G2)を楽勝すると、走破タイムが1分37秒5もかかる土砂降りの不良馬場のもとで行われた安田記念も力強い末脚を繰り出して、2着に2馬身半の差を付けて圧勝した。

 のちに藤沢は、「あの厳しい条件のなかで強い競馬をしてくれたことで、『これなら欧州でも大丈夫だ』という確信を持った」と語っている。

 7月半ばにフランスへ渡ったタイキシャトルは「現地でも日本と同じスタンスで臨みたい」という藤沢の考えで強い調教は行わず、のちに藤沢厩舎の代名詞になった“馬なり調教”で状態を整え、絶好の状態で本番へと向かった。

 ジャックルマロワ賞の舞台は、ドーヴィル競馬場の直線コース。重馬場になったが、藤沢はもちろん、手綱をとる岡部幸雄にも不安はなく、「これで負ければ仕方ない」という達観した思いでレースに臨んだという。

 強力なライバルと見られていた欧州馬が出走を回避したため、タイキシャトルの単勝オッズは1.3倍という圧倒的な1番人気となった。そして彼はその期待に違わぬ走りを見せる。

 好スタートを切ったタイキシャトルは2番手につけ、残り100m付近から鞍上のゴーサインを受けてスパートに入ると、追い込んできたアマングメンを半馬身抑えて先頭でゴールを駆け抜けた。ケロリとした表情で引き揚げている“主役”をよそに、帯同したスタッフは興奮した様子で、笑顔をたたえながら愛馬を迎え、労を労った。

 時に岡部幸雄、49歳。騎手生活も晩年に入ったこの年、少年時代から憧れた欧州競馬で最高峰のG1を勝った感激はいかばかりだったか。ふだんはクールで知られるレジェンドが表彰式の壇上でそっと涙を拭う様子を見せたことが、彼の心情のすべてを表していた。

 タイキシャトルは短距離馬として初めて、この年度のJRA賞年度代表馬に選ばれた。また、当地で走ったのがジャックルマロワ賞の1レースだけだったにもかかわらず、フランス競馬で優秀な成績を残した馬に送られるエルメス賞の最優秀古馬に選出された。

 いまでは大樹ファームの経営形態が変わり、岡部幸雄は騎手を、藤沢和雄は調教師を引退。タイキシャトルも種牡馬としてG1馬を3頭出す活躍を見せたのち、功労馬として過ごしていた北海道・日高の牧場で昨年の8月、老衰でこの世を去った。

 それでも彼らが眩いほどの光を放っていた、あの年月は決して忘れることはない。

 大型台風の接近で、週末の安田記念は道悪の競馬になる公算が高い。そのとき、雨を切り裂いて豪脚を繰り出し、後続を置き去りにしたタイキシャトルのような馬が生まれるのか。そんなことを思いながら春のマイル王決定戦を観ることになるだろうが、道悪の競馬もまた一興である。(文中敬略)

三好達彦

1962年生まれ。ライター&編集者。旅行誌、婦人誌の編集部を経たのち、競馬好きが高じてJRA発行の競馬総合月刊誌『優駿』の編集スタッフに加わり、約20年間携わった。偏愛した馬はオグリキャップ、ホクトヘリオス、テイエムオペラオー。サッカー観戦も趣味で、FC東京のファンでもある。

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